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藤田美術館(ふじたびじゅつかん) は、大阪市都島区網島町にある、東洋古美術を中心とした大阪府の登録博物館である。常設展示は行っておらず、春と秋に3か月ずつ企画展の形でのみ開館するのが特徴である。運営は、公益財団法人藤田美術館。 == 概要 == 実業家で男爵であった藤田伝三郎(旧字:傳三郎、1841-1912)、その長男の藤田平太郎(1869-1940)、伝三郎の二男の藤田徳次郎(1880-1935)のコレクションを展示している。戦後間もなく日本銀行に担保として押えられていたが、藤田鉱業常務の小川栄一によって散逸を免れる。1951年(昭和26年)財団法人藤田美術館として法人化、美術館の開館は1954年(昭和29年)5月であった。なお2013年(平成25年)10月、公益財団法人に移行した。 藤田伝三郎は、西南戦争で巨利を得、「藤田組」を設立した、明治時代の関西財界の重鎮であった。骨董収集の面でも関西第一と言われ、その豪快な買いっぷりは伝説化している〔『別冊太陽』100号「101人の古美術」(平凡社、1997)、p.18〕。 伝三郎の没後、昭和初期に藤田家蔵品の売り立てが3回行われ、この時売却された蔵品には、現在各地の美術館に納まっている名品が目白押しであった〔『別冊太陽』100号「101人の古美術」(平凡社、1997)、p.18〕。それでもなお、現在の藤田美術館には国宝9件、国の重要文化財52件を含む名品が数千点所蔵されており、藤田家コレクション全体の規模の大きさが想像される。 藤田美術館の所在地は、多くの蔵が並んでいた藤田家本邸の跡地である。大工棟梁・今井平七の指揮のもと建てられた藤田邸は明治末期の建設時、関西で最大級の和風邸宅であった。邸宅内には30を越す茶室があった。敷地内には、本邸、西邸、東邸とあったが、東邸(現在の太閤園・淀川邸)と本邸の表門と蔵、そして和歌山県高野山の光台院から移築して銅板葺にした多宝塔を除き、第二次世界大戦の空襲で焼失。現在は、京都大学の日比忠彦設計の日本最初期の鉄筋コンクリート蔵を改装した建物が展示館として使用されているが、収蔵品の質・量に比してやや手狭であることは否めない。展示室スペース不足から、春・秋の特別展の際にのみ収蔵品を選んで展示する形態となっている(古い蔵が展示館なので、収蔵品の劣化防止のために寒暖が厳しい季節に開館できないからであるという)。現館長の藤田清は、伝三郎から数えて5代目の子孫。 藤田邸跡の庭園は、現在は藤田邸跡公園となっている。園内に滝を配置するなど特徴のある庭園である。この庭園は戦後放置され鬱蒼とした森となっていたのを、JR東西線建設工事時に建設基地として使われるために木が伐採され、東西線開業後に大阪市によって公園として整備されたものである。藤田邸跡公園は、隣接する桜之宮公園とは異なり、夕方以降は閉門され、夜間は入園することが出来ない。美術館は1年の半分は休館しているが、藤田邸跡公園は通年入場することができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤田美術館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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