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マグニチュード岸和田(マグニチュード きしわだ、本名:藤田 豊成、1971年5月9日 - )は、日本のプロレスラー(覆面レスラー)。大阪府岸和田市出身。 愛称は「岸和田兄さん」、「親分」、「大阪で一番強い男」など。 == 経歴 == 学生時代はウエイトリフティングの選手として活躍。1990年代前半ごろからプロレスラーとして活動しインディー団体を転々。新格闘プロレス所属時代には、修斗との対抗戦に出場という異色の経歴も。ミスター・ポーゴの子分としてFMWに参戦していたことがある。後に金村キンタローとのハードコアマッチで1歩も引かぬ活躍を見せたのは、この頃の経験があるからである(ちなみに、金村が「W★ING金村」と名乗っていた頃には行動を共にしたこともある。今では考えられないが、当時は金村にいじめられたり言動をツッコまれたりと「いじられキャラ」であった)。1999年に大阪プロレスに怪獣Ζ(ゼータ)マンドラとして登場、主にコミカル路線で活躍していたが2001年にGamma率いるヒールユニットFLUxxに加入、翌2002年に“ビッグボス”MA-G-MAに変身。同年の天王山トーナメントで優勝(その後3連覇)など次第にリーダーのGammaを食う程の存在感を見せる。Gammaの離脱によってFLUxxが消滅した後は岸和田愚連隊を結成し団体のトップヒールとして活躍。2004年には新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。同年に心臓疾患で欠場するが復帰。しかし2005年の分裂騒動で大阪プロレスを退団。 同年6月にDRAGON GATEマットに登場、Blood Generationに加入しリングネームをマグニチュード岸和田に改名。以降は同団体に参戦している。メンバーの中で最もキャリアが長いため「岸和田兄さん」と呼ばれる。また、大阪プロレス退団選手・スタッフが主催するびっくりプロレスにも参戦している。同年11月には望月成晃を破りオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した。 2006年2月末より、首と肩の負傷のため戦線離脱。その間に助っ人としてGammaを呼び込むが、Gammaはブラッドを乗っ取り、マッスル・アウトローズと分裂。岸和田はその黒幕でありマッスルアウトローズのメンバーとして復帰した。 2006年11月23日の大阪大会後に自身の正体が藤田豊成であることを公表。翌11月24日よりフリーに転向。12月14日びっくりプロレス後楽園大会で獣神サンダー・ライガーとシングルで対戦するも完敗。 2007年5月11日にGPWAへ加盟。2007年11月3日びっくりプロレスIMPホール大会で金村キンタローと遺恨精算ハードコア・デスマッチに挑み、ハサミでマスクを切り裂かれ、そのハサミの先端で頭部を攻撃され流血するも見事勝利する。12月29日現在の主戦場であるDGと絶縁状態にあるプロレスリング・エルドラド後楽園に突如乱入し、近藤修司をラストライドでKOした。 2008年2月3日にアゼリア大正でデビュー15周年の記念大会が行われる。3月5日にはプロレスリング・ノアのサブ興行といえる、プロレスリング・セムに参戦。金丸義信への挑戦をアピール。5月17日のノア・有明大会でのタイトルマッチ(体重99kgに絞り)が実現したが善戦及ばず敗退した。 5月31日のDRAGON GATE・神戸大会にて突如望月組のXとして登場しフェイスターン、REAL HAZARDに合流した旧MOのメンバーとは袂を分かつ。以降は望月、ドン・フジイとの三十路トリオ(通称・絶倫ズ)で活動している。 絶倫ズでの活動が一段落してからは大日本プロレス、ZERO1などに参戦している。ZERO1では田中将斗の誘いで火祭りに出場している。同年には古巣の大阪プロレスにも参戦し、天王山トーナメントに出場した。 現在は道頓堀プロレスなど他団体へスポット参戦している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マグニチュード岸和田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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