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藤野 天光(ふじの てんこう、男性、1903年9月27日 - 1974年12月30日 )は日本の彫刻家。本名は藤野隆秋。別号は舜正。 群馬県館林市生まれ。音楽家の村上正治とともに千葉県市川市の地域文化発展に貢献。日展審査員を6回、さらに理事をつとめる。 == 略歴 == *1903年 館林市に生まれる *1928年 東京美術学校(現東京芸術大学)彫塑部卒業、北村西望に師事 *1929年 帝展初入選(以後連続入選、特選3回) *1938年 新文展特選「銃後工場の護り」 *1939年 ニューヨーク万博出品 *1945年 市川文化会設立。市川市美術会結成、理事長 *1947年 日本彫刻家連盟設立に参加 *1948年 千葉県美術会結成、常任理事 *1949年 日展審査員 *1952年 千葉県文化財専門委員を委嘱され議長を務める *1954年 翌年にかけて師・北村西望と共に筆頭助手として長崎の「平和祈念像」を制作 *1966年 日本芸術院賞受賞。千葉県美術会理事長 *1969年 日展理事 *1973年 第28回若潮国体モニュメント8mの大作「輝く太陽」制作(千葉県) *1974年 各団体に呼びかけ市川市芸術文化団体協議会を設立。千葉県美術会会長理事長として千葉県立美術館を建設。12月30日逝去 *1975年 1月24日県美術会葬弔演奏会(市川交響楽団、指揮村上正治、千葉県立美術館)。従五位勲三等瑞宝章受章 *2003年 遺族が、346作品(ほとんど石膏作品)を館林市に寄贈 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤野天光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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