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蘆名 千鶴丸(あしな せんつるまる、慶安3年2月17日(1650年3月19日)-承応2年6月13日(1653年7月7日))は、江戸時代中期の人物。出羽角館蘆名氏第3代当主、蘆名家最後の当主。父は蘆名盛俊。 == 概略 == 慶安3年2月17日(1650年3月19日)、久保田藩の重臣・蘆名盛俊の子として誕生。母は宇都宮氏出身の松寿院。 慶安4年6月10日(1651年7月27日)に父・盛俊が20歳で死去したため、わずか1歳で家督を継いだ。ところが、承応2年(1653年)、菩提寺である曹洞宗天寧寺に参詣した折、縁側から敷石(沓脱石)に転落死した。享年4(満3歳没)。かつては「会津守護」とよばれた蘆名家もここに途絶えた。 千鶴丸の死後、母・松寿院は実家の宇都宮家にもどっている。蘆名家には安昌院(角館初代蘆名義勝の側室、盛俊母、千鶴丸祖母)が残り、古城山南麓の「山屋敷」と呼ばれた地に居住して元禄4年(1691年)まで生きた。 明暦2年(1656年)、蘆名家の絶家が正式に確定して、当時士分だった家臣117名はそれぞれ分散、蘆名家に代わって角館に入部したのは佐竹北家であった。蘆名家旧家臣には北家に召し抱えられた者もおり、武家屋敷を今に伝えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘆名千鶴丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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