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蘇孝慈 : ミニ英和和英辞書
蘇孝慈[そこうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [じ]
 【名詞】 1. love 2. affection (for) 3. pity 

蘇孝慈 : ウィキペディア日本語版
蘇孝慈[そこうじ]
蘇孝慈(そこうじ、538年 - 601年)は、中国北周からにかけての軍人政治家は慈で、は孝慈。字をもって通称される。本貫扶風郡
== 経歴 ==
蘇武周の子として生まれた。北周の初年に中侍上士となった。567年、右侍上士となった。569年都督となり、北斉への使者に立った。570年、大都督に進んだ。571年、再び北斉に向かい、帰還すると宣納上士となった。576年武帝の下で北斉を討ち、功績により位は開府儀同三司に進んで、文安県公の爵位を受けた。まもなく臨水県公に改封され、工部上大夫に累進した。
581年、隋が建国されると、爵位は安平郡公に進み、太府卿に任ぜられた。大司農に転じた。582年、兵部尚書となり、太子右衛率を兼ねた。583年、陝州に常平倉が置かれると、輸京下に転じた。584年、知漕渠総副監事となり、渭水の浚渫工事を監督した。587年、太子右庶子を兼ね、まもなく太子左衛率に転じた。588年、判工部尚書となり、判刑部民部尚書事となった。592年、位は大将軍に進み、工部尚書に転じた。598年、淅州刺史として出された。太子楊勇は孝慈が去ったことが不満で、言動にあらわれた。601年、洪州総管に転じ、善政で知られた。桂林の山越が乱を起こすと、孝慈は交州道行軍総管となって、乱の平定にあたった。交州で死去した。
子に蘇会昌があった。また兄の子の蘇沙羅が知られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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