翻訳と辞書
Words near each other
・ 蘇方
・ 蘇昱彰
・ 蘇曼殊
・ 蘇有朋
・ 蘇木
・ 蘇東坡
・ 蘇東成
・ 蘇東線
・ 蘇枋
・ 蘇格蘭
蘇椿
・ 蘇武
・ 蘇武トンネル
・ 蘇武岳
・ 蘇武幸志
・ 蘇武直人
・ 蘇民将来
・ 蘇民祭
・ 蘇水峡橋
・ 蘇永康


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

蘇椿 : ウィキペディア日本語版
蘇椿[そ ちん]
蘇椿(そ ちん、生年不詳 - 563年)は、中国北魏末から北周にかけての官僚軍人は令欽。本貫武功郡
== 経歴 ==
北魏の武功郡太守の蘇協の子として生まれた。正光年間、関右で反乱が勃発すると、蘇椿は討伐軍に応募して、蕩寇将軍の号を受けた。功績により奉朝請・厲威将軍・中散大夫に進み、美陽子の爵位を受け、都督・持節・平西将軍・太中大夫の位を加えられた。535年大統元年)、西魏が建国されると、蘇椿は鎮東将軍・金紫光禄大夫の位を受け、賀蘭氏の姓を賜った。538年(大統4年)、武都郡太守として出向した。後に西夏州長史に転じ、帥都督に任じられ、行弘農郡事をつとめた。
548年(大統14年)、槃頭郡氐族を撃破して功績を挙げ、散騎常侍の位を受け、大都督の任を加えられた。550年(大統16年)、楊忠の下で随郡を攻撃し、凱旋すると、武功郡太守に任じられた。ほどなく使持節・車騎大将軍・儀同三司の位を受け、爵位を侯に進めた。560年武成2年)、驃騎大将軍・開府儀同三司・大都督に進んだ。563年保定3年)、死去した。
子の蘇植が後を嗣いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蘇椿」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.