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蘭渓道隆 : ミニ英和和英辞書
蘭渓道隆[らんけい どうりゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らん]
 (n) orchid

蘭渓道隆 : ウィキペディア日本語版
蘭渓道隆[らんけい どうりゅう]

蘭溪道隆(らんけい どうりゅう、建保元年(1213年) - 弘安元年7月24日1278年8月13日))は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。
諱は道隆、道号は蘭渓。南宋の西蜀(現:中国四川省)の人。諡号は大覚禅師
== 人物・略歴 ==

13歳で出家し、無準師範北礀居簡に学んだ後、松源崇岳法嗣である無明慧性の法を嗣ぐ。
1246年寛元4年)33歳のとき、渡宋した泉涌寺の僧月翁智鏡との縁により、弟子とともに来日した。筑前円覚寺京都泉涌寺来迎院鎌倉寿福寺などに寓居。宋風の本格的な臨済宗を広める。また執権北条時頼帰依を受けて鎌倉に招かれ、退耕行勇の開いた常楽寺神奈川県鎌倉市)の住持となった〔村井(2004)pp.67-89〕。
1253年建長5年)、北条時頼によって鎌倉建長寺が創建されると招かれて開山となる。建長寺は、純粋禅道場としては栄西の開いた筑前国聖福寺福岡市博多区)に次いで古い。創建当初の建長寺は、中国語が飛びかう異国的な空間であった〔。当時の建長寺の住持はほとんどが中国人であり、無学祖元はじめ、おもだった渡来僧はまず建長寺に入って住持となるのが慣例となっていた〔村井(2004)p.74〕。『沙石集』を著した無住は、『雑談集』のなかで、建長寺はまるで異国のようであるとの感想を記している〔村井(2004)p.74〕。
蒙古襲来(元寇)の際、からの密偵の疑いをかけられ、甲州奥州の松島、伊豆国に移された。その時修禅寺の改宗を行う。
のち京都建仁寺・寿福寺・鎌倉禅興寺などの住持となった。一時、讒言により甲斐国(現:山梨県)に配流され、東光寺などを再興したが、再び建長寺にもどり、1278年(弘安元年)同寺で没した。
蘭渓道隆の後継として、無学祖元が来日した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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