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蘭英斎芦国 : ミニ英和和英辞書
蘭英斎芦国[らんえいさい あしくに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らん]
 (n) orchid
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

蘭英斎芦国 : ウィキペディア日本語版
蘭英斎芦国[らんえいさい あしくに]
蘭英斎 芦国(らんえいさい あしくに、生年不明 - 文政3年9月5日1820年10月11日〉)とは、江戸時代後期の大坂の浮世絵師
== 来歴 ==
須賀蘭林斎の門人。姓は浅山、通称は布屋忠三郎。芦洲(あしくに)とも称し、青陽斎、狂画堂、蘭英斎と号す。大坂の人。安永初年に生まれ、始めは浮世絵師の父浅山芦渓に学び、後に須賀蘭林斎にも学んだ。安堂寺町五丁目に住んでおり、作画期は寛政1789年 - 1801年)末期から文化3年(1806年)にかけてで、役者絵読本挿絵、根本などを多く描いた。作品として「いろは国字忠臣蔵」、文化元年刊行の絵入根本『劇場(しばい)菊の戯』などがあげられる。一枚絵においては享和元年(1801年)に版行された「七世片岡仁左衛門の城五郎 二世嵐吉三郎の丹右衛門」が早期の作品として知られる。文化中期のころには多くの絵本脚本に絵筆をとっており、文化13年(1816年)以降は大判の役者絵も描いており、また、劇場看板絵も得意としていたといわれている。読本では文化9年(1812年)刊行の『今昔庚申譚』(いまはむかしこうしんばなし)五冊(栗杖亭鬼卵作)、同文化9年刊行の『金屋金五郎全伝』(金太楼主人作)の挿絵を手がけている。絵入根本では文化1年(1804年)刊行の『劇場菊の戯』、文化5年(1808年)刊行の『春景浅茅原』 六冊(笑門亭編)、文化12年(1815年)刊行の『定結納爪櫛』、同年刊行の『芝翫節用百戯通』(暁鐘成編)などがある。『春景浅茅原』には喜多川此麿とともに挿絵を描いている。また肉筆浮世絵も手がけており、江戸の勝川春暁と京都の山口素絢と合作した「三都遊女図」が良く知られている。文政3年(1820年)、40余歳で没した。墓所は大阪市天王寺区下寺町の遊行寺(円成院)。法名は釈順清。
芦国は流光斎如圭松好斎半兵衛らの活躍から遅れて登場、独自の役者絵をもって芦国派といわれる一派を成し、浪花錦絵界において多くの門人を育てている。なお門人の中に読みが同じで、同じ「雪」の字を付けた時期もある戯画堂芦幸(芦ゆき、芦雪)と、もう一人の芦雪がいた。芦幸は若干早い文化‐文政期に活躍し、後者の芦雪は六花園と号し、安政‐慶応期に活躍した。その他の門人として芦麿芦郷芦友芦尚芦広芦舟芦清浜松歌国あし川彦国などがあげられ、『芝翫節用百戯通』を編集した暁鐘成も芦国の門人であったかとされる。
彼らの中で芦国派の画系は戯画堂芦幸と芦麿が継承していった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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