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蘭英斎 芦国(らんえいさい あしくに、生年不明 - 文政3年9月5日〈1820年10月11日〉)とは、江戸時代後期の大坂の浮世絵師。 == 来歴 == 須賀蘭林斎の門人。姓は浅山、通称は布屋忠三郎。芦洲(あしくに)とも称し、青陽斎、狂画堂、蘭英斎と号す。大坂の人。安永初年に生まれ、始めは浮世絵師の父浅山芦渓に学び、後に須賀蘭林斎にも学んだ。安堂寺町五丁目に住んでおり、作画期は寛政(1789年 - 1801年)末期から文化3年(1806年)にかけてで、役者絵、読本の挿絵、根本などを多く描いた。作品として「いろは国字忠臣蔵」、文化元年刊行の絵入根本『劇場(しばい)菊の戯』などがあげられる。一枚絵においては享和元年(1801年)に版行された「七世片岡仁左衛門の城五郎 二世嵐吉三郎の丹右衛門」が早期の作品として知られる。文化中期のころには多くの絵本や脚本に絵筆をとっており、文化13年(1816年)以降は大判の役者絵も描いており、また、劇場の看板絵も得意としていたといわれている。読本では文化9年(1812年)刊行の『今昔庚申譚』(いまはむかしこうしんばなし)五冊(栗杖亭鬼卵作)、同文化9年刊行の『金屋金五郎全伝』(金太楼主人作)の挿絵を手がけている。絵入根本では文化1年(1804年)刊行の『劇場菊の戯』、文化5年(1808年)刊行の『春景浅茅原』 六冊(笑門亭編)、文化12年(1815年)刊行の『定結納爪櫛』、同年刊行の『芝翫節用百戯通』(暁鐘成編)などがある。『春景浅茅原』には喜多川此麿とともに挿絵を描いている。また肉筆浮世絵も手がけており、江戸の勝川春暁と京都の山口素絢と合作した「三都遊女図」が良く知られている。文政3年(1820年)、40余歳で没した。墓所は大阪市天王寺区下寺町の遊行寺(円成院)。法名は釈順清。 芦国は流光斎如圭、松好斎半兵衛らの活躍から遅れて登場、独自の役者絵をもって芦国派といわれる一派を成し、浪花錦絵界において多くの門人を育てている。なお門人の中に読みが同じで、同じ「雪」の字を付けた時期もある戯画堂芦幸(芦ゆき、芦雪)と、もう一人の芦雪がいた。芦幸は若干早い文化‐文政期に活躍し、後者の芦雪は六花園と号し、安政‐慶応期に活躍した。その他の門人として芦麿、芦郷、芦友、芦尚、芦広、芦舟、芦清、浜松歌国、あし川彦国などがあげられ、『芝翫節用百戯通』を編集した暁鐘成も芦国の門人であったかとされる。 彼らの中で芦国派の画系は戯画堂芦幸と芦麿が継承していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘭英斎芦国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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