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蛎崎冨三郎 : ミニ英和和英辞書
蛎崎冨三郎[み]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [み]
  1. (num) three 

蛎崎冨三郎 ( リダイレクト:蠣崎富三郎 ) : ウィキペディア日本語版
蠣崎富三郎[かきざき とみさぶろう]

蠣崎 富三郎(かきざき とみさぶろう、1861年4月18日文久元年3月9日) - 1924年8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
==経歴==
松前藩家老・名古屋裁判所判事、蠣崎多浪の三男として生れる。陸軍士官学校幼年生徒、士官生徒を経て、1883年(明治16年)12月、陸士(旧6期)を卒業し歩兵少尉任官、歩兵第3連隊付となる。1886年(明治19年)1月、陸軍大学校に入学したが退校し、後に再入校して1891年(明治24年)12月、同校(7期)を優等で卒業した。参謀本部副官、陸大教官などを歴任し、日清戦争では第1軍参謀として出征した。1895年(明治28年)から1898年(明治31年)までフランスに留学し、1899年(明治32年)1月に帰国。その後、陸大教官、陸軍戸山学校教官などを歴任した。
日露戦争では、第1軍兵站監部参謀長として出征した。1905年(明治38年)3月、奉天会戦直前に陸軍大佐に進級し第10師団参謀長に発令され奉天会戦に参戦した。歩兵第48連隊長を経て、1909年(明治42年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第28旅団長となり、歩兵第2旅団長を経て、1912年(大正元年)12月、ロシア大使館付武官となった。1914年(大正3年)8月、陸軍中将となり第11師団長に就任。1917年(大正6年)8月に待命となり、翌年4月、予備役に編入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蠣崎富三郎」の詳細全文を読む




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