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蛭子山古墳(えびすやまこふん)または蛭子山1号墳は、京都府与謝郡与謝野町字加悦・明石にある前方後円墳。蛭子山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。 網野銚子山古墳(京丹後市網野町)・神明山古墳(京丹後市丹後町)と合わせて「日本海三大古墳」と総称される。 現在は付近の作山古墳群(国の史跡)とともに与謝野町立古墳公園として整備されている。 == 概要 == 京都府北部、丹後半島付け根の加悦谷の、東縁にある中位段丘上に築造された大型前方後円墳である。台地上ではこの1号墳含む古墳8基が分布し、これらは「蛭子山古墳群」と総称される。これまでに5次の発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を北西方に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は145メートルを測り、丹後半島では網野銚子山古墳(京丹後市網野町、墳丘長198メートル)・神明山古墳(京丹後市丹後町、墳丘長190メートル)に次ぐ第3位の規模になる。墳丘各段には埴輪列が巡らされているほか、墳丘表面には川原石の葺石が認められる。主体部の埋葬施設としては後円部中央において3基が認められており、そのうち中央の第1主体では舟形石棺および銅鏡・大刀などが発見されている。 この蛭子山1号墳は、古墳時代前期後半の4世紀中頃の築造と推定される〔。弥生時代末期から古墳時代前期にかけての丹後半島では、日本海交易により伸長した一定勢力が存在したことが知られ、蛭子山1号墳含む三大古墳はその様子を物語る古墳になる。なお、谷1つを隔てて南50メートルほどの位置には中・小規模の古墳5基からなる作山古墳群(国の史跡)も築造されており、特に作山1号墳には蛭子山1号墳との関連性が指摘される〔作山古墳群の史跡説明板。〕 古墳域は1930年(昭和5年)に2号墳・3号墳と合わせて「蛭子山古墳」として国の史跡に指定された〔。その後、作山古墳群とともに復元・整備が行われ、1992年(平成4年)11月からは蛭子山古墳群・作山古墳群などを範囲とする加悦町古墳公園(現・与謝野町立古墳公園)が開園した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蛭子山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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