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蛭田有希子(ひるたゆきこ・1975年7月19日-)。1990年代半ばに活躍したタレント。埼玉県出身、血液型A型。趣味は読書、特技はアルトサックス(中高生時代吹奏楽部だった)とピアノ。 ==略歴== 子供の頃から女優になるのを夢見て、高校3年生だった1993年9月にTBSラジオ主催の第1回シンデレラドリームオーディションに合格。10月からスタートした同局の深夜番組「シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー」(以下ミッドナイト☆パーティーと略す)でデビューした。番組開始当初はレギュラーメンバーには加わらず、11月から毎月1回行われた番組主催イベントだけの参加だったが、高校卒業した1994年3月に黒住祐子がメインだった金曜深夜担当で初めてレギュラーとなり、本格的なデビューを果たした。7月には黒住祐子や四元都華咲とユニット"マヒマヒ"を結成し、かつてさいとうみわこ(現さいとういんこ)らタンゴ・ヨーロッパらが唄った「桃郷シンデレラ」をカバーしてCDをリリースし、歌手デビューを果たした。 同年10月には月曜深夜1部で初めてメインパーソナリティーになり木曜深夜と週2回担当することになったが、ミッドナイト☆パーティーで週2回レギュラーをもったのは彼女だけ(11月からはTV版!ミッドナイト☆パーティーも)。また同じ時期にシンデレラ仲間の松宮麻衣子が所属していたヤザ・パパに所属し、ドラマや映画に出演、女優としても活躍した。1995年4月に黒住祐子がTV版ミッドナイト☆パーティー専属になるため、自身が担当していた月曜深夜1部を木曜深夜に統合する形でメインを引き継いだ。そして11月号の雑誌「UP TO BOY(アップトゥボーイ)」(ワニブックス)では恥ずかしながらも自身の水着姿も披露した。 ミッドナイト☆パーティー終了後の後継番組として土曜深夜(日曜早朝)に放送された「ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー」にはレギュラーではなかったものの、ゲストとして多く出演していた。 そして1996年4月からTBS系「関口宏の東京フレンドパークII」のアシスタント従業員として初のTVレギュラー出演を果たした。しかしミッドナイト☆パーティーのシンデレラ(パーソナリティー)出身では松宮麻衣子とともにその後の活躍が最も期待されたにもかかわらず、1997年4月「関口宏の東京フレンドパークII」卒業・降板を最後に引退した。引退後は結婚し、その後出産。現在は2児の母となっている。 「ミッドナイト☆パーティー」を担当していた頃、阪神タイガースファンであると語っており、特に新庄剛志の大ファンで一度、雑誌掲載のときに新庄が掲載されている雑誌などの写真や記事の切抜きを集めたクリアファイルをサインつきで読者プレゼントしたことがある(オーディション合格後、後に同じ事務所仲間となった関西出身の松宮麻衣子に「新庄のファンなの?」とからかわれたという)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蛭田有希子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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