|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 蜂 : [はち] 【名詞】 1. bee ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 比 : [ひ] 1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines
蜂田古爾比売(はちだ の こにひめ、生年不明 - 和銅3年(710年)没)は、日本の飛鳥時代の人物である。河内国(後の和泉国)大鳥郡(現在の大阪府堺市)の人。高志才智を夫とし、天智天皇7年(668年)に僧行基を生んだ。 == 解説 == 古爾比売は蜂田虎身の長女で、天智天皇7年(668年)に河内国(和泉国)大鳥郡で行基を生んだ。夫は高志才智である〔行基の骨をおさめた瓶に刻まれた『大僧上舎利瓶記』による。年は「近江大津の朝の戊辰の歳」と記されている。〕。その家は同郡蜂田郷にあった。当時一般的だった妻問い婚・招婿婚により、才智が古爾比売の蜂田家に通い、そこで行基が生まれたのであろう〔井上薫『行基』10-11頁。吉田靖男『行基と律令国家』11頁。〕。 古爾比売の事績については知られることはない。修行を終えた行基は、慶雲元年(704年)に自宅を仏閣にした。後の家原寺である〔先行諸文献を参考に安元元年(1175年)に編まれた『行基年譜』による。吉田靖雄『行基と律令国家』83頁。〕。慶雲2年(705年)から古爾比売は、山林修行を終えた行基に導かれて佐紀堂(現在の奈良県奈良市佐紀町)に住んだ。慶雲4年(707年)からは生馬仙房(生駒山の家)に移り、和銅3年(710年)に死ぬまで行基とともに住んだ〔9から12世紀成立の『行基菩薩伝』による。〕。 行基は母の死後も和銅5年(712年)まで生馬仙房(草野仙房とも)にとどまり、質素な生活をした。喪に服したのであろう〔『行基菩薩伝』、『行基年譜』。吉田靖雄『行基と律令国家』93-94頁。〕。後に行基が葬られた竹林寺の前身である〔嘉元3年(1305年)に書かれた『竹林寺略録』による。吉田靖雄『行基と律令国家』93頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂田古爾比売」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|