|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 蜂 : [はち] 【名詞】 1. bee ・ 矢 : [や] 【名詞】 1. arrow ・ 行 : [くだり, ぎょう] 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse
蜂矢 敏行(はちや としゆき、本名は四股名と同じ、 1950年11月16日 - 2001年1月27日)は、岐阜県本巣郡根尾村(※現役当時、現在の同県本巣市)出身で、春日野部屋に所属した大相撲力士である。最高位は西前頭6枚目(1984年11月場所)。現役時代の体格は180cm、110kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 == 来歴・人物 == 地元・根尾村の中学校を卒業後、愛知県犬山市のスーパーマーケットに勤務していたが、1967年7月に相撲見物に行った事を切っ掛けに相撲取りになる事を決意。しかし、体重が規定の75kgより下回っていたため、その後故郷に戻って体重増加に努めた。 1年後、春日野部屋への入門を許され、1968年9月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口当初から、本名でもある「蜂矢」の四股名で相撲を取り(一時「栃ノ矢」と改名した時期もあったが、すぐに元の「蜂矢」の名に戻している)、1976年5月場所で新十両に昇進。以降は、幕下と十両との往復を幾度も繰り返した。だが、十両24場所目の1981年9月場所では東十両5枚目に在って10勝5敗と好成績を残し、これを手土産に翌11月場所で念願の新入幕を果たした。序ノ口に付いてから約13年、80場所目での超スロー入幕であった。 小兵だが腕力は強く、投げや吊り寄りの大きい相撲を取ったが、頭をつけて食い下がる相撲は少なかった。そのため幕内では通用しなかったが、十両在位は歴代1位(大潮とタイ)の55場所と、息の長い土俵生活を送った。 再入幕を果たした1984年9月場所では、東前頭14枚目の地位で10勝を挙げている。 1985年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降は長く十両で相撲を取ったが、幕下に落ちて全休した1987年9月場所を以って36歳で引退した。 春日野部屋が出羽海一門という事から、同じ一門で力士の人数が少なかった三保ヶ関部屋で横綱・北の湖の付け人を長く務め、“北の湖の参謀”と呼ばれた。その縁から、引退後は北の湖親方から年寄名跡の「小野川」を借り、春日野部屋から北の湖部屋へと移籍して後進の指導に当たった。 2001年1月27日、上顎癌のため、東京都内の病院で逝去。享年50。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂矢敏行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|