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蜂須賀 斉裕(はちすか なりひろ)は、江戸時代末期の大名。阿波国徳島藩の第13代藩主。 11代将軍・徳川家斉の二十二男で、12代将軍・徳川家慶の異母弟。13代将軍・徳川家定(家慶の子)は甥にあたるが、僅か3歳年下である。父の家斉より偏諱を賜って斉裕と名乗る。 == 略歴 == === 将軍の子から外様の藩主へ === 文政4年(1821年)9月19日生まれ。文政10年(1827年)閏6月3日、徳島藩12代藩主・蜂須賀斉昌の養子となる。斉裕の父・家斉は「膃肭臍将軍」と皮肉られるほどの子沢山で、成長した男児は嫡男の家慶を除いてことごとく他藩に養子に出された。徳川将軍家の子だけあって養子先の多くは親藩の大藩だったが、やがてそれだけでは賄いきれなくなる。最終的には小藩にも実質的な持参金手形付き、つまり襲封時に大幅加増があることを内諾の上で養子に出す有様となった〔家斉の十四男・斉民は美作国津山藩主松平家5万石に養嗣子として入ったが、襲封にあたって津山藩は特に5万石を加増された。〕。 こうした中で斉裕は外様大名の徳島藩主蜂須賀斉昌の養嗣子に出された。徳島藩は阿波・淡路両国を治める大藩で、表高25万7千石は石高として申し分なかったが、外様であることに変わりはない(家斉の子で斉裕の兄である斉衆も鳥取藩池田氏に養子に出されている)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂須賀斉裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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