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蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年2月15日 - 1953年5月4日)は日本の華族(侯爵)、貴族院議員、探検家、鳥類学者、飛行家。絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた他、沖縄本島と宮古島との間に引かれた生物地理学上の線である蜂須賀線に名をとどめている。 == 経歴 == 旧徳島藩主蜂須賀家の第18代当主として東京に生まれる。お印は椿、後に兜。父蜂須賀正韶は侯爵、貴族院副議長。母筆子は徳川慶喜の4女。姉年子はデザイナー。父からは、政治家になることを望まれていた。 学習院初等科に入った頃から生物に著しい関心を示し、先輩の黒田長禮に出会ってから鳥類学に志す。1919年、学習院中等科在学中、日本鳥学会に参加。 1920年9月に渡英。1921年、父の母校ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに入学。政治学を修めるという口実だったが、もっぱら鳥類の研究に没頭し、大英博物館や剥製店や古書店に通い詰める。さらに、銀行家ロスチャイルド家の出身で『絶滅鳥大図説』の著者である動物学者の英国貴族第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドと親交を結ぶ。さらに、豊富な資金力に物を言わせて探検隊を結成し、アイスランドやモロッコ、アルジェリア、エジプト、コンゴ、南米、東南アジアなどを踏破。1928年、英国から一時帰国中に、有尾人を求めてフィリピンでジャングル探検を決行。卒業論文は「鳳凰とは何か」で、伝説上の霊鳥鳳凰のモデルを、カンムリセイランとした〔荒俣宏『大東亜科学奇譚』ちくま文庫、1996年〕。 1928年、渡瀬庄三郎と共に日本生物地理学会を設立。同年、東京帝国大学の松村瞭から依頼を受け、フィリピン探検で有尾人探索調査を行う。正氏が、マラリアに感染し、不首尾に終わる。東南アジアの島々で、生物相を調べていくうちにウォーレス線と同様の生物の構成が異なってくる境界を発見、有尾人への関心は以後薄れていく〔荒俣宏『荒俣宏の不思議歩記』毎日新聞社 2004年 p.12-14〕。 1930年、再び渡欧。1930年暮から1931年5月にかけて、ベルギー政府探検隊のアフリカ探検に参加、日本人として初めて野生ゴリラと対面した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂須賀正氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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