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糸姫(いとひめ、元亀2年(1571年) - 正保2年6月20日(1645年8月11日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。蜂須賀正勝の娘。福岡藩初代藩主・黒田長政の正室。 == 生涯 == 元亀2年(1571年)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣・蜂須賀正勝の娘として尾張国(もしくは大坂)にて誕生。母は鳥井越中守の娘・白雲院。異母兄に蜂須賀家政、姉に奈良姫(賀島長昌正室)がいる。 天正12年(1584年)、同じく秀吉の家臣である黒田孝高の子・黒田長政と結婚〔『黒田家譜』〕(豊臣秀吉の養女として嫁いだとの説もあるが定かではない〔須藤(2014) 〕)。慶長2年(1597年)には娘・菊(後に井上之房の子・井上庸名の妻)が生まれる。 ところが、関ヶ原の戦いの直前に離縁させられ、長政には徳川家康の意向(婚姻政策)により家康の養女である栄姫(保科正直の娘)が正室として嫁いだ〔黒田忠之、黒田長興、黒田高政はいずれも栄姫の子である。〕。なお、この糸姫との離縁が、江戸時代中期までの黒田家と蜂須賀家の127年に渡る「不通大名〔江戸時代、意図して互いに交流をしない大名同士のこと。江戸城内で会っても会釈も挨拶も交わさないとされる。1727年和解。〕」のきっかけとなった。 その後は実家・蜂須賀家領国の阿波国で暮らし、正保2年(1645年)に死去。戒名は寶珠院殿桃渓僊公尼大姉。墓所は桃渓山臨江寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「糸姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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