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蟻の街(ありのまち)とは1950年頃、現在の隅田公園(東京都墨田区)の一角で言問橋(ことといばし)の袂にあった廃品仕切場、及び「蟻の会」という労働生活協同体があった一帯を言う。〔「蟻の会」とはこの一帯で廃品回収をして働く人々やその家族が生活する共同体の名称である。蟻の街はマスコミの報道により蟻の会があった一帯に付けられた呼び名である。〕 この蟻の街で生活した松居桃楼や北原怜子、様々な援助をしたゼノ・ゼブロフスキー修道士らの活動及び「蟻の会」がマスコミ報道等により全国的に知られた。。 1960年には東京都の代替地斡旋により、東京都江東区深川8号埋立地(現在の潮見)に移転している〔。 ==成り立ち== ===仕切り場とバタヤ=== 旧「蟻の街」があった一角の初期は、同胞援護会が管理していた製材工場跡と約600坪の土地を元ヤクザの小沢求が同会より借り受け、廃品の仕切り場とするためだった。仕事のない人々を日雇いで雇いあげ、ガラスくず、鉄・銅くず、縄くず、紙くず等を拾い集めて回収させ、再生工場へ送る事業を行った。当時はこのような業務を行う労働者は『バタヤ』と呼ばれた。収集して来た物品を買い取る業者は、安く買いたたくため、バタヤの生活は貧困を極めた。憤慨した小沢は、バタヤ達への適切な報酬の支払いを目的とし、自前の仕切り場を開設した。小沢の仕切り場での報酬は正当な出来高払いで、仕切り場の労働者とその家族たちを居住させ、一種の生活共同体を形成した。当時はバタヤたちが公共の土地に無許可で集落を形成する『バタヤ集落』があちこちに点在し、小沢の仕切り場も同類と見做されていた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蟻の街」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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