|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 崎 : [みさき] (n) cape (on coast)
蠣崎 吉広(かきざき よしひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。吉広系蠣崎家初代。 == 生涯 == 蠣崎季広の九男で、松前慶広の弟〔川口素生『戦国軍師人名事典』P148〕。吉広は兄・慶広の仮養子となり、文禄元年(1592年)に豊臣秀吉に、慶長5年(1600年)に徳川家康に拝謁している〔川口素生『戦国軍師人名事典』P149〕。この家康に拝謁した年から慶広の居城・松前城(福山館)の築城、城下町の建設に協力した〔。慶長19年(1614年)、流罪に処されていた花山院忠長が赦免された際、吉広が忠長を京都まで送り届けた〔。 後に慶広との仮養子関係は解消されたが、慶広から公広、氏広と3代の藩主を補佐して松前藩の藩政も担当し、歴代藩主から厚い信任を受けた〔。 吉広の子孫はその後、松前藩の重臣として藩政に関与した〔。なお、江戸時代中期の風俗画家として有名な蠣崎広年(蠣崎波響)は、家系上は吉広の子孫である(実際は8代藩主・松前資広の五男のため、血縁関係は無い)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蠣崎吉広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|