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血脈ザクラ(けちみゃくザクラ)は、北海道渡島総合振興局管内松前郡松前町松城の光善寺境内に生育しているサクラの古木である。品種はサトザクラの1種である「マツマエハヤザキ」〔品種名は「南殿」(なでん)という別名でも呼ばれる。〕という早咲きの八重桜で、例年4月下旬から5月上旬が見ごろとなる〔「伝説の血脈桜」桜の国の北海道 北海道人・2006年4月特集、2012年4月21日閲覧。〕〔宗方、103頁。〕〔渡辺、17頁。〕。樹齢は200年以上または280年以上といわれ、北海道有数のサクラの名木として評価され、1973年(昭和48年)に北海道指定記念樹木に選定されている〔〔 みどり財形~みなさんのまちの 巨樹・名木・並木(渡島総合振興局管内松前町) 北海道庁ウェブサイト、2012年4月21日閲覧。〕〔大貫、10-11頁。〕。このサクラには桜の精と「血脈」証文にまつわる伝説があり、「血脈ザクラ」という名称はその伝説にちなんだものである〔〔〔。 == 由来 == 松前町は北海道有数のサクラの名所として名高く、毎年4月下旬から5月中旬に開催される「さくらまつり」の時期には多くの人々がサクラ見物に訪れている。松前町に生育するサクラは250種、総数は約8000本に上っている〔。松前城の近くにある浄土宗に属する寺院光善寺の境内にも多くのサクラが咲き競うが、とりわけ名高いのは寺の本堂前にあるこの血脈ザクラである。樹高は約8メートル、幹回りは5.5メートルに達している〔〔。このサクラには、次のような伝説が残されている。 昔、松前の城下で鍛冶屋として働いていた柳本伝八という人物が、隠居後に娘の静枝を伴って上方見物に旅立った。江戸を経て伊勢神宮に参拝し、京の都や奈良を巡って吉野にたどりついた。折しも吉野はサクラが満開で、伝八親子はしばらくこの地に逗留することに決めた。親子はこの地で、近くの尼寺に住む美しい尼僧と懇意になった。伝八親子がいよいよ故郷の松前に帰る日が訪れたとき、尼僧は親子との別れを惜しんで1本のサクラの苗木を吉野の土産にと贈った。帰郷後に伝八親子は、菩提寺の光善寺にこの苗木を寄進した。苗木は立派なサクラの木へと成長し、やがて見事な花を咲かせるようになって光善寺を訪れる人々を喜ばせた。月日は流れ、光善寺十八世穏誉上人の時代に本堂を立て直す話が持ち上がり、改築の支障になるこのサクラを伐採することに決まった。明日はいよいよ伐採という日の深夜に、美しい娘が上人のもとを訪れた。娘は「私は近々死ぬ身の上です。どうか血脈(法脈を示す系図で極楽への手形といわれる)をお授けください」と懇願した。上人は娘の熱心な願いにほだされて、血脈の証文を授けることにした。翌日の朝、サクラの木の枝に何かが揺れているのを上人は目にした。よく見ると、それは昨晩娘に授けたあの血脈の証文だった。上人は「さては昨晩の娘さんは、この木の精であったか」と悟り、伐採を取りやめて娘とサクラの木のために懇ろな供養を執り行った〔〔〔〔北海道松前藩観光奉行-情報かわら版-血脈桜の伝説- 2012年4月21日閲覧。〕。上人のもとに現れた娘については、静枝の霊であったともいわれる〔。それ以来、このサクラは「血脈ザクラ」の名で呼ばれるようになった〔〔〔〔。 光善寺は、1903年(明治36年)、本堂と庫裡が全焼する火事に遭った。血脈ザクラも類焼の難に遭ったが、誰もがもう助からないと判断するほどの焼損状態から蘇り、再び見事な花を咲かせるまでに回復している〔。 血脈ザクラは松前に桜前線が到達するとともに開花することから、「マツマエハヤザキ」〔という品種名で呼ばれている〔。八重咲きの花はあでやかで、満開のときには2本の幹が織りなす花扇のようになって、枝がしなっているように見えるほどの重量感のある花姿を見せる〔〔宮嶋、124-125頁。〕。咲き始めは淡い紅色だった花の中央部が、日の経過につれて紅色へと染まる「移り紅」(うつりべに)という性質を持っている〔〔。現在松前町に植えられているサクラの多くが、この血脈ザクラを親木にした系譜に連なるという〔〔〔。1973年(昭和48年)3月30日には、北海道指定記念樹木に選定された〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「血脈ザクラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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