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原住民族委員会(ぎょうせいいん げんじゅうみんぞくいいんかい)は中華民国行政院に属する原住民族行政を所管する機関。1996年に行政院原住民委員会として成立、2002年に現在の名称に改名された。 == 成立 == 1995年12月2日に行われた第三回立法委員選挙は、初めての国民党・民進党・新党の3党がいずれも過半数に届かない「三党不過半」状態になることが予想されていた。実際には、国民党85名で、総数164名の立法院の過半数をぎりぎり上回ったが、そのうち6名は先住民議員(先住民議員定数は6名。全員が国民党に属した。)であり、彼らの造反はそのまま国民党の野党転落に繋がりかねなくなり、初めて原住民族がキャスティングボートを握ったのである。 民進党・新党はその地盤が大きく異なるにもかかわらず、これを期に連立を画策、切り崩しのために先住民議員が旧来より求めていた「少数民族委員会」設立支持を決定し、実際に先住民議員である蔡中涵(アミ族)とワリス・ペリン(タイヤル族)は両党連立を支持する声明を出した。国民党側は、彼らを懐柔する一方で、党議拘束に逆らうはずがないと高をくくっていたため、2人の造反を実際に招くことになる。他の先住民議員は2人の先走りへの反発のために同調しなかった。 1996年2月1日に行われた立法院院長選挙は、第一回が80対80(無所属4名が無効票)、第二回が82対82(民進党議員1名が無効票)の結果、国民党側候補の劉松藩が選出された。蔡中涵とワリス・ペリンは国民党から除名処分を受けたが、勢力図が変わったわけではなく、2月23日の行政院院長に対する同意投票に際して、先住民議員は結束して国民党指導部に対し「少数民族委員会」の設置を求めた。これに対し国民党側は部会級(日本でいう省庁クラス)の「原住民委員会」の設置を確約、除名処分を受けた者を含む先住民議員6名全員が行政院院長として連戦を支持し、国民党は政局を乗り切ったのであった。 その後国民党側は約束した形式でない設置法を立法院に提出したが、これに対しては先住民議員は民進党と協力して反対し、国民党を強請ることで部会級の原住民委員会設置法を提出しなおさせ、最終的に11月1日に成立を見た。12月10日、世界人権デーに原住民委員会は正式に発足した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原住民族委員会」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Council of Indigenous Peoples 」があります。 スポンサード リンク
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