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街場の文体論 : ミニ英和和英辞書
街場の文体論[まちばのぶんたいろん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文体 : [ぶんたい]
 【名詞】 1. literary style 
文体論 : [ぶんたいろん]
 (n) stylistics
: [ろん]
 【名詞】 1. (1) argument 2. discussion 3. dispute 4. controversy 5. discourse 6. debate 7. (2) theory 8. doctrine 9. (3) essay 10. treatise 1 1. comment

街場の文体論 : ウィキペディア日本語版
街場の文体論[まちばのぶんたいろん]

街場の文体論』(まちばのぶんたいろん)は、内田樹が著した文章論、思想論。
2012年7月15日、ミシマ社より発売された〔株式会社ミシマ社 | 本の一覧 | 街場の文体論 〕。装丁は吉田篤弘と吉田浩美(クラフト・エヴィング商會)。
本書のもとになったのは、著者が神戸女学院大学で2010年10月から2011年1月の間に行った講義「クリエイティブ・ライティング」である。同講義は大学教授である著者にとって「最後の授業」だったという〔本書、297頁。〕。
== 内容の一部 ==
;第1講 言語にとって愛とは何か?
: 橋本治の短編「バベルの塔」、三島由紀夫の『豊饒の海』第三部「暁の寺」、村上春樹の『1Q84』を取り上げ、「一流の作家は例外なしに説明がうまい」と説く。
:「僕はこのクリエイティブ・ライティングという授業を通じて、もちろん言語現象の本質とか、文学性という理論的な話もしたいわけですけれども、授業の実践的な目的は、ひとことで言えば、みんなに『読み手に対する敬意と愛』を身につけてほしいということなんです。それに尽くされる」〔本書、20頁。〕
;第2講 「言語の檻」から「鉱脈」へ
:スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』(1925年)、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(1953年)、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1982年)の三作品に通じるのは「少年期(アドレッセンス)との決別という主題だろう」と述べる〔本書、49頁。〕。また、『グレート・ギャツビー』と同じ物語の構造をもつ先行作品としてアラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』(1919年)を挙げている。
;第3講 電子書籍と少女マンガリテラシー
:佐々木倫子の『Heaven?』が取り上げられている。登場人物の台詞が写植文字であるか、手書き文字であるかによって読者は解釈を変えると説く。
;第4講 ソシュールとアナグラム
:エルヴィス・プレスリーは1977年に亡くなっているが、いまだに「オレはエルヴィス・プレスリーに会ったぜ」という人が後を絶たない。「『エルヴィスが生きている』という言明はアメリカ人にとってある種の宿命性をもっているということを意味しています。『Elvis』と『lives』は同じ文字要素で構成されたアナグラムですから、『エルヴィス』と来たら、どうしても『生きている』と続く。『エルヴィス』と『生きている』は必然的な結びつきがあるのです」〔本書、74-75頁〕
;第6講 世界性と翻訳について
:内田はカズオ・イシグロの『日の名残り』(1989年)について次のように述べている。「実を言うとは、僕はこの作品に少し吉本隆明的なものを感じたのです。『敵に内通した悪いやつ』として歴史から抹殺された老貴族の肖像のうちに、大英帝国がもちえた最良のものを見出そうとするスティーブンスの願いは、吉本が『日本封建制の優性遺伝』という言葉に託したものと深いもので通じるような気がしたからです」〔本書、113頁〕
;第9講 「宛て先」について
:「人間というのは(中略) 他者からのメッセージを簡単には受信しないように、つねに警戒しているんです。だから他者にメッセージを届かせるのはきわめてむずかしい。そういうことです」〔本書、168頁。〕
;第11講 鏡像と共―身体形成
:『マタイによる福音書』24章24節~31節の話が紹介される。おぼれかけたペテロイエスは手を差し伸べて「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言う。内田はこの話について次のように述べる。
「世界のクリスチャン二〇億人は『空中浮揚したことのある人がいます』という話にいきなり『嘘だ』と反応するはずがない。だって、信じないのは『信仰の薄い人』だとイエス自身が言ってるんですから。『イエスは特別だ』という人がいるかもしれない。じゃあ、お訊きしますけれど、イエスだけじゃなくて、ペテロだって空中に浮いたんですよ。これはどう説明するんですか。作り話ですか」〔本書、209頁。〕
;第14講 リーダビリティと地下室
:本講義の最後の授業で内田は、村上春樹が2009年2月15日に行ったエルサレム賞受賞スピーチの一部分を引用する。引用されたのは「私の父は昨年、九十歳で死にました。父は引退した教師で、パートタイムの僧侶でした」という部分。
:「村上春樹の世界性ということは久しく僕の研究課題なのです。なぜ日本人作家の中で、村上春樹だけが例外的に国際なポピュラリティを獲得して、世界中で数億人の読者を獲得しているのか。(中略) 自分が経験しなかった経験についての記憶の欠如、『言葉にできない経験』を遺贈され作家、『虚の経験』をおのれの根拠に抱え込んでしまった作家はもしかすると、あまりいないのかもれしない。それが村上春樹の世界性の根拠をなしてきたのではないかという気がします」〔本書、293頁。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「街場の文体論」の詳細全文を読む




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