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衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、その実在について論争のない〔考古学的に直接証明になるような文字資料が出土したわけではない。〕朝鮮半島の最初の国家である。中国の燕に出自を持つ〔衛氏朝鮮の建国者である衛満については、『史記』朝鮮伝に「朝鮮王満者、故燕人也」とあり、中国人となる。〕中国人亡命者である衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは『三国志』以降)が今の朝鮮半島北部に建国した。 == 沿革 == === 前史 === 朝鮮半島では、中国から朝鮮半島西岸を経由して日本列島へ到る交易路沿いに、華僑商人の寄港地が都市へと成長していく現象がみられた〔岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, pp.38-42〕。(戦国時代)、紀元前334年の段階で燕はすでに「朝鮮」(朝鮮半島北部)を領有〔『史記』蘇秦列伝には燕領として遼東と朝鮮が併記されているが、考古学的にはこの時期すでに遼東半島は燕の領有に帰していたと考えられるので、朝鮮も領有されていたとする史記の説も肯定的にみる説がある。〕していた。紀元前284年、燕は自国内に郡制を設け上谷から遼東までを5郡とし、東胡を防ぐためその北に東西二千里の長城を築いたが、『史記』によれば、この頃(燕の全盛期)、朝鮮は燕の配下に入った(朝鮮と真番(朝鮮半島南部)を「略属」させ、要地には砦を築き官吏を駐在させた)。また、中国商人の権益を保護していた〔岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, p.22〕。秦代(燕が秦に滅ぼされて後)は秦の属領となり、燕の時代に築かれた朝鮮・真番の砦は二つだけ残して廃されたが、遼東郡の保護下にあった〔岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, p.23〕。秦末(紀元前209年)、陳勝呉広の乱が起こると中国全土は大混乱となり〔この時、駐留していた秦の官吏と駐屯軍が清川江以南から撤退し、朝鮮・真番は放棄されて権力の空白地帯となったとみる説もあるが、難民が発生するような混乱の中にわざわざ戻った者ばかりではなく、戻りたくても戻れない者や、あるいは秦の亡民が半島に移住土着したという三国志韓伝の記述からは、安全確保のためむしろ朝鮮に留まった者も多かったと推測される。〕、燕国は韓広を王として再び独立を成し遂げた〔この段階でも燕はまだ朝鮮を領有していたのか、または韓広の勢力範囲は朝鮮まで及んでいなかったのかは両方の可能性があり不明。〕。紀元前206年、秦が滅ぶと、天下の覇権を握った項羽によって臧荼が燕王に立てられ韓広は遼東王に左遷された。ここで燕は遼河を挟んで東西二つの国に分かれたことになる〔遼東王というのは遼東半島だけの王という意味ではなく満洲の中央を流れる遼河以東の王という意味ともとれる。従ってこの段階でも韓広が朝鮮を支配していた可能性もないではない。〕。その年の内に臧荼は韓広を攻め遼東を併合して燕全体の王となった〔遼東半島だけを併合し朝鮮は放棄されたと思われるが定かではない。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衛氏朝鮮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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