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衛立煌[えい りつこう]
衛 立煌(えい りつこう)は中華民国の軍人。護法運動以来の南方政府(孫文派)生え抜きの軍人で、日中戦争(抗日戦争)と国共内戦における中国国民党(国民政府、国民革命軍)の主要な指揮官のひとりである。字は俊如、輝珊。 == 事績 ==
=== 孫文配下となる === 田賦の登記・管理を担当していた地方役人の家庭に生まれる。辛亥革命勃発後に兄とともに和県で軍職に就いた。二次革命(第二革命)で革命派として参加したが、敗北して故郷に戻っている。1914年(民国3年)、漢口に移って兵士となった。1年の軍事訓練の後に上海を経由して広州に向かい、広東省長朱慶瀾の省軍に加わっている。〔厳(1997)、137頁。〕〔徐主編(2007)、2614頁。〕 1917年(民国6年)9月、孫文(孫中山)が護法運動を開始し、広州で護法軍政府を樹立する。このとき、衛立煌は選抜されて孫の護衛部隊に加えられた。以後、衛は商団反乱鎮圧や陳炯明討伐などで軍功をあげて着実に昇進していく。孫没後の1925年(民国14年)9月、蒋介石の下で国民革命軍第1軍第3師で団長に任ぜられた。〔厳(1997)、137-138頁。〕〔
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