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衣川 隆夫(きぬがわ たかお、1979年7月28日 - )は、兵庫県出身の元社会人野球選手(捕手・外野手)。ホンダに所属していた。現役引退時の背番号は9。 兄は元プロ野球選手の衣川幸夫。 ==来歴・人物== 育英高等学校ではセンバツの出場経験あり。 その後日本大学に進み野球部に所属。2000年春シーズンには東都大学リーグ1部首位打者に輝く。4年生となった2001年シーズンには背番号1を背負ってキャプテンを務め、この年の大学選手権でチームを準優勝に輝く。また、この年の四カ国対抗戦と第34回IBAFワールドカップ日本代表にも選出される。リーグ通算90試合出場、278打数74安打、打率.266、4本塁打、37打点。ベストナイン3回。 実兄の幸夫も捕手としてプロ入り(近鉄→ヤクルト)しており、兄弟捕手としてのプロ入りもささやかれたが、大学卒業時にドラフト指名はなく、社会人のホンダ入り。入社1年目の2002年には日台対抗戦の日本代表に選出され、ドラフト指名解禁時にはプロの指名があるものと期待された。 しかし、捕手として同年代かつ同期入社の佐伯亮がレギュラー捕手の座をつかみ順調に成長していくのと反比例するように、衣川の守備面には綻びが見え始め、さらには打撃にも影響を与える悪循環に陥ってしまう。そこで2004年シーズン、宇田川丈昌監督と相談の上、外野手にコンバートとなった。背番号も前年まで尾形佳紀(広島に入団)がつけていた9番を引き継ぎ、外野手、指名打者として試合に出場した。 2007年シーズンは再び捕手登録に戻ったが、同年の都市対抗野球南関東2次予選を最後に現役を引退。 その後母校である日本大学のコーチに転じ、2009年6月から8月までは監督代行を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衣川隆夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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