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袁洵(えん しゅん、生没年不詳)は、南朝宋の官僚。字は士蔚。本貫は陳郡陽夏県。 == 経歴 == 袁豹の子として生まれた。元嘉年間、顕官を歴任した。廬陵王劉紹が南中郎将・江州刺史となると、袁洵は南中郎長史・尋陽郡太守となり、南中郎府と江州の事務を代行した。元嘉末年、呉郡太守となった。453年(元嘉30年)、453年(元嘉30年)、劉劭が文帝を殺害して帝を称すると、袁洵は建威将軍の号を加えられた。隨王劉誕が劉劭を討つべく起兵すると、袁洵はその下で先鋒をつとめ、輔国将軍の号を加えられた。劉劭の乱が平定されると、ほどなく死去した。征虜将軍の位を追贈された。諡は貞子といった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「袁洵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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