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袁礼敦 : ミニ英和和英辞書
袁礼敦[えん れいとん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 

袁礼敦 : ウィキペディア日本語版
袁礼敦[えん れいとん]

袁 礼敦(えん れいとん)は、中華民国の実業家・政治家。主に上海で様々な事業に取り組んだ人物で、後年、汪兆銘政権(南京国民政府)に参加した。またキリスト教徒としての活動も著名である。旧名は賢安、後に礼敦と改名。中華圏では履登でも知られる。〔中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第6巻』と徐主編(2007)、1114頁は「袁履登」の表記を用いている。〕
== 事跡 ==

=== 民国初期の活動 ===
1893年(光緒19年)、寧波メソジスト系学校である華英斐迪書院に入学する。1896年(光緒22年)、私立上海聖ヨハネ書院に進学した。1904年(光緒30年)に卒業し、寧波に戻って華英斐迪学堂副校長兼英語教員などをつとめている。翌年、メソジスト系教会である開明講堂の牧師を兼任し、後に寧波府外交顧問もつとめた。〔徐主編(2007)、1114頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、6頁。〕
1911年宣統3年)、辛亥革命が勃発すると革命派に加わり、寧波軍政府外交部次長兼交通部次長をつとめた。翌1912年民国元年)春に辞職し、友人と『方聞報』という新聞を刊行し、総経理となる。その後、地方政府や企業で経営に携わったり、通訳をつとめたりした。1917年(民国6年)に2度日本に渡り、商工業の視察を行っている。〔〔
1920年(民国9年)、上海寧紹輪船公司総経理となり、さらに上海国民銀行董事(理事)なども兼ねた。1925年(民国14年)、上海各界馬路商界総聯合会会長となり、さらに商業界を代表して上海工商学聯合会に加入した。後には上海公共租界(上海共同租界)華人納税会副理事長、工部局華顧問・華董事等の役職をつとめるなど、上海共同租界で要職を歴任している。〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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