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裴恵昭 裴 恵昭(裴 惠昭、はい けいしょう、? - 480年)は、南朝斉の武帝蕭賾の妃。武穆皇后と追尊された。本貫は河東郡聞喜県。 == 経歴 == 左軍参軍の裴璣之と檀氏(余杭広昌郷元君)のあいだの娘として生まれた。蕭賾の妻として迎えられた。蕭賾の弟の蕭嶷の妻である庾氏が婦人の仕事につとめ、蕭道成の夫人の劉智容に恭謹に仕えたため、恵昭は家内の評価で庾氏に及ばなかった。蕭子良の妻の袁氏に失敗があったとき、恵昭は訓罰を加えた。479年(昇明3年)、斉世子妃となった。同年(建元元年)、蕭道成が皇帝に即位すると、蕭賾は皇太子に立てられ、恵昭は皇太子妃となった。480年(建元2年)7月24日、死去した。諡は穆妃といい、休安陵に葬られた。482年(建元4年)、武帝が即位すると、皇后に追尊された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「裴恵昭」の詳細全文を読む
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