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襄東会戦(じょうとうかいせん)とは、日中戦争中の1939年5月1日から5月20日まで、湖北省の襄東地区で行われた日本陸軍と国民革命軍による戦闘である。反攻を企図して集結した中国軍を日本軍が撃滅しようとした。襄東とは、襄河(漢水の別称)以東の地域を指す。作戦名称は「そ号作戦」。中国側の呼称は随棗会戦。 == 背景 == 1938年(昭和13年)に行われた日本軍による武漢作戦・広東作戦で主要都市武漢、広東を失陥した国民政府は、打撃を受けた中国軍の整理・再編成をおこない、1939年(昭和14年)4月頃までにそのおおむねを完了させた(第一期整編)。中国軍は4月上旬から整編部隊を基幹とした「四月攻勢」を開始した。武漢北西方面の第5戦区には湯恩伯指揮の第31集団軍(6個師)が集結中で、第5戦区正面の第3師団や第16師団は出撃してきた中国軍を撃退しつつあった〔『支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで』、362頁。〕。 四月攻勢の情報を得た第11軍は、反攻を企図して集結した第5戦区軍に打撃を与えることにより、占領地域を安定確保し中国側の抗戦意思を挫折させることを目的に、「そ号作戦」の準備を開始した〔『支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで』、363頁。〕。この作戦では、中国軍部隊の撃滅、特にその中核兵団である第31集団軍(司令:湯恩伯)を目標としており、漢水東方地区の中国軍に打撃を与えたのち、反転して元の占領地域に復帰するというものであった。大本営は第11軍の作戦地域を前年12月2日に制限していたが、本作戦での一時的な越境を許可した〔『支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで』、367-368頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「襄東会戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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