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襄陽の戦い(じょうようのたたかい)は、中国後漢末期の191年に、孫堅と劉表との間で行われた戦い。孫堅軍は終始優勢で戦を進め劉表軍を追い詰めたが、孫堅が戦死したため退却を余儀なくされた。 ==事前の経緯== 191年4月、董卓が洛陽を焼き払い長安に逃亡すると、諸侯の間で内紛が起こったこともあり最終的に反董卓連合は瓦解した。諸侯はそれぞれの根拠地へ戻り、自衛や勢力拡張のため争い始めた。その中でも、同じ袁家の出身であり強大な勢力を誇っていた袁紹と袁術は対立を深めていった。荊州の劉表は袁紹と、北平の公孫瓚は袁術とそれぞれ同盟を結んだ。袁術は、中国南部から袁紹の影響力を排除するために、配下であった孫堅に劉表の勢力下にある荊州南郡の襄陽城攻撃を命じた。 南郡には東西に横切る形で漢水(長江の支流)が流れ、漢水を挟んで北に樊城、南に襄陽城が建っている。樊城・襄陽城は中国の中心に位置し、戦略上の非常に重要な拠点となっていた。三国時代に移った後も、この2城は重要拠点として頻繁に係争地となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「襄陽の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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