|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 陽 : [よう] 1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1 ・ 城 : [しろ] 【名詞】 1. castle ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦い : [たたかい] 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict
襄陽・樊城の戦い(じょうよう・はんじょうのたたかい)は、1268年から1273年にわたってモンゴル帝国と南宋との間で行われた戦闘。襄陽・樊城は南宋にとって国土防衛の最重要拠点であり、40年近くにわたって行われたモンゴル・南宋戦争においてよくモンゴル軍の攻撃対象となったが、ここでは第3次モンゴル・南宋戦争において行われた戦いについて述べる。 ==襄陽南郊の会戦 == 帝位継承戦争を制し、第5代大ハーンとなったクビライは長年にわたって行われたモンゴル・南宋戦争に終止符を打つべく十分に計画を練り、1268年モンゴル軍はアジュを主将として南下し樊城を包囲した。この拠点を重視する南宋も長江中流域・漢水流域の大軍閥呂文徳に命じてその弟呂文煥に膨大な糧食・装備を授けて入城させ、持久戦に持ち込む構えを見せた。 しかし、自身も第4代大ハーン・モンケの時代に南宋への遠征を指揮したことのあるクビライは、開封を兵站基地とする補給網を完備し、万全の準備を整えた上でこの双子都市を取り囲んでおり、始めから持久戦の備えは十分にできていた。呂文煥のもと士気盛んな南宋軍に対し、モンゴル軍は直接戦闘することを避け、ひたすら土木工事を続け、長大な土塁の包囲陣を築いた。 当初は肩すかしをくらった形の南宋軍だったが、南宋軍を無視してひたすら工事を続けるモンゴル軍に苛立ちを覚えて逆に出撃し、モンゴル軍を攻撃した。モンゴル軍は矢や火器などで反撃し、決して直接戦闘はせず、出撃した軍は空しく城に戻った。 こうして襄陽・樊城は外界から完全に遮断され、思いもよらぬモンゴル軍の長期戦の構えに慌てた南宋は、2度ほど救援部隊を送ったが、いずれも撃退され、ついに虎の子の范文虎率いる軍を出動させることを決定した。 一方、完全に襄陽・樊城を包囲したモンゴル軍は、密かに水軍を建設しつつあり、襄陽の郊外では盛んに軍事演習が行われ、着々と南宋軍に対する準備が整えられた。范文虎率いる水陸合わせて約10万の部隊は襄陽南郊まで進出し、モンゴル軍と激突したものの、水軍部隊を揃え万全の準備を整えたモンゴル軍に完敗を喫し、これ以降南宋軍は一気に劣勢になってゆく。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「襄陽・樊城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|