|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 西 : [にし] 【名詞】 1. west ・ ローゼ : [ろーぜ] 1. (fr:) (n) rose 2. (fr:) (n) rose ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 協 : [きょう] 1. (n-suf,n-pref) cooperation ・ 協定 : [きょうてい] 1. (n,vs) arrangement 2. pact 3. agreement
西・ローゼン協定(にし・ろーぜんきょうてい、)とは、1898年4月25日に日本とロシアの間で結ばれた、韓国についての紛争に関する協定のこと。 日清戦争における日本の勝利と、韓国国内政治への影響力の増大により、朝鮮半島への主導権に関する日露の緊張は増大し続けていた。特に、ロシアは公使がカール・イバノビッチ・ヴェーバーからアレクセイ・ニコラビッチ・シュペイエルに交代し、朝鮮の財政権を握ろうと、朝鮮に英国人ジョン・マクレヴィ・ブラウンを解職し露国人キリル・アレキセーフ (Kiril A. Alexeev)に代えることを強要したため〔〔Peter Duus: ''The Abacus and the Sword: The Japanese Penetration of Korea, 1895-1910.'' University of California Press, 1998, ISBN 0-520-21361-0, S. 121–123, Ian Ruxtonによる, The Semi-Official Letters of British Envoy Sir Ernest Satow from Japan and .China (1895-1906)〕、英国側は東洋艦隊を仁川に寄越して抗議する事件が起きた〔朝鮮史大系 小田省吾 1927年〕。そのため、排露派の勢力が増していた〔。協定は東京において、日本の外務大臣西徳二郎男爵と駐日ロシア公使ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼン男爵の間で交わされた。協定文では、両国は韓国の国内政治への干渉を差し控え、かつ韓国政府の依頼で軍事または財政顧問を送る前に、互いに事前承認を求めることで合意した。 ロシアは、韓国の商用・経済発展への日本の投資を妨害しないことを誓約し、それにより韓国が日本の勢力範囲になることを明確に認めた。代わりに、日本は満州におけるロシアの勢力範囲を暗黙に認めた。 == 出典 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西・ローゼン協定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|