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西代寺(にしだいじ)は神戸市長田区にある東寺真言宗準別格本山の仏教寺院。 阪神淡路大震災で、本堂 庫裏 山門等が全壊する被害を受けたが、平成16年に復興再建。 本尊を地蔵菩薩とし、地蔵信仰が盛んな長田区では長田のお地蔵さんとして親しまれている。 == 歴史 == 西代寺は東寺真言宗初代宗務総長 木田宥岳大和尚によって中興開山された。 宥岳和尚は淡路島の洲本市に生まれ、幼少時代を淡路の地で過ごし、その後、京都の東寺中学に進学。 卒業後、淡路島に戻り、南あわじ市松帆の古義真言宗五大力山願海寺で住職に就いていたが、大正時代に神戸西代の地で、無住となった寺院を任されることになった。 そして淡路島より弘法大師像を担ぎ海を渡り、神戸西代の地に降りて、ここを自らの布教の拠点とし、衆生救済を発願した。そこが現在の西代寺の地である。 入寺当初の寺は荒廃しており、境内にお堂が残されているだけであったが、宥岳和尚の尽力あって、庫裏・山門などが逐次整備された。 創建年代、宥岳和尚入寺前の寺号等については記録が無く、不詳であるが、残された資料によると宥岳和尚が入寺してからは、大正年代『真言宗東寺派 護国教会 西代高野山』 その後、『真言宗東寺派末 西代寺』となっており、宥岳和尚は正式に寺号を『西代寺』と公称し、神戸西代の地で弘法大師信仰を弘め、人々の心の拠り所として寺門発展した。 記録によると西代寺は当時開かれていた神戸八十八ヶ所霊場第七十四番に属していた。 1945年(昭和20年)には、神戸大空襲に見舞われたが、幸いにも大きな被害は受けず難を逃れることができた。 終戦後、高木寳瑞和尚が中興第二世として入寺し、宥岳和尚と共に寺門興隆に励み、檀家数 千軒以上を有する程にまで発展した。 しかし、1995年(平成7年)に発生した阪神淡路大震災によって、本堂・庫裏・山門などが全壊し、堂塔を失う。 震災後、高木寳瑞和尚は、全壊となった西代寺跡に仮本堂を建て、震災で離散した檀信徒の方々の安否消息・所在の確認から始まり、寺院体制を整え直し、西代寺復興に尽力した。 その後、中興第三世 木田亮仁住職が西代寺本堂復興再建を発願し、檀信徒一致協力のもと、2004年(平成16年)4月に落成し、復興再建した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西代寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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