|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 西 : [にし] 【名詞】 1. west ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 貫 : [かん] 【名詞】 1. kan (approx. 3. 75 kg)
西原 貫治(にしはら かんじ、1890年(明治23年)11月30日 - 1975年(昭和50年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 広島県で生まれる。陸軍憲兵大尉・西原貫洞の二男として生れる。広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第11連隊付となる。1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業し、歩兵第11連隊中隊長に就任。 1922年(大正11年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、フランス駐在、軍務局課員、陸軍技術本部付、軍務局課員(徴募課)、朝鮮軍参謀、陸軍歩兵学校教官などを経て、1934年(昭和9年)12月、歩兵大佐に昇進した。 1935年(昭和10年)3月、陸軍習志野学校幹事に就任。歩兵第31連隊長、第8師団参謀長などを歴任し、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し、再び習志野学校幹事となる。同校校長を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み第23師団長に親補され満州に駐屯し太平洋戦争を迎えた。 1942年(昭和17年)11月、化兵監となり、教育総監部本部長事務取扱、第4軍司令官を経て、第57軍司令官として鹿児島県財部で本土決戦に備えていたが、その地で終戦を迎えた。1945年(昭和20年)10月、西部軍管区司令官となり、翌月、予備役に編入され、同年12月から翌年3月にかけて西部復員監を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西原貫治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|