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西国三十三所名所図会(さいごくさんじゅうさんしょめいしょずえ、西國三十三名所圖會)は、暁鐘成(あかつき かねなり)が著した西国三十三所の名所を紹介した江戸時代の名所図会。 == 解題 == === 背景 === 江戸時代中期以降に全国に数多くの札所と札所をつなぐ巡礼道・遍路道が開かれ、仏教の民衆化・世俗化とともに盛行をきわめた。加えて、江戸時代に農民生活が向上したことにより、寺社参詣者数は急増し、一寺一社参詣とは異なる回遊型巡礼に向かう者が多数見られるようになった。回遊型巡礼とは、往路復路で同じ道をたどらず各地の霊場をめぐりながら出発地にもどるもので、特に近世には物見遊山としての性格を強めつつ盛んになっていった〔小山靖憲、2000、『熊野古道』、岩波書店(岩波新書) pp.121-123 ISBN 4004306655〕。 その中でも、最も古くから知られていたのが西国三十三所である。西国三十三所は、花山法皇の巡礼を伝説上の起源とされたことにより、巡礼の功徳や権威が高められて喧伝され、多くの人々が巡礼の道をたどった。19世紀はじめの化政年間には1万4千から2万人にも達する巡礼者がいたという〔林598 〕 ほどの隆盛に合わせて各種の案内記・道中記の類も数多く出版され、寺社参詣・巡礼者を対象とした版元の経営が成立しうるほどであった〔林599 〕。こうした案内記・道中記の中には、名所図会式のものも数種が知られており、なかでも最も代表的なもののひとつが本書である〔林599 。いまひとつよく知られているのは、厚誉春鶯『観音霊場記』(全7巻10冊、享保11年〈1726年〉)に辻本基定が桃嶺の挿絵を加えて再編した『観音霊場記図会』(全5巻5冊、享和3年)である。翻刻本は、金指正三校註、1973、『西国坂東観音霊場記』、青蛙房(青蛙選書42)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西国三十三所名所図会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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