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西園寺公基 : ミニ英和和英辞書
西園寺公基[さいおんじ きんもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

西園寺公基 : ウィキペディア日本語版
西園寺公基[さいおんじ きんもと]

西園寺 公基(さいおんじ きんもと)は、鎌倉時代公卿右大臣正二位京極、または万里小路と号す。父は太政大臣西園寺実氏。弟に太政大臣西園寺公相がいる。姉西園寺公子は後深草天皇の中宮
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
元仁2年(1225年)1月5日、叙爵。同年4月26日、侍従に任ぜられる。嘉禄3年(1227年)1月5日、従五位上に昇叙。安貞3年(1229年)1月5日、正五位下に昇叙〔朝観行幸時に父実氏が安嘉門院院司として奉仕したことに対する賞の譲りによる。〕。同月30日、丹後権介を兼ねる。まだ同年10月9日には右少将に任ぜられる。寛喜2年(1230年)1月23日、播磨介を兼ねる。寛喜3年(1231年)1月6日、従四位下に昇叙。寛喜4年(1232年)1月5日、従四位上に昇叙。貞永2年(1233年)1月6日、正四位下に昇叙。同年4月8日、右中将に任ぜられる。
嘉禎2年(1236年)2月30日、参議に任ぜられる。同年6月13日には従三位に叙せられる。嘉禎3年(1237年)1月24日、左衛門督検非違使別当を兼ね、備前権守も兼ねる。同年11月16日、正三位に昇叙〔北山第に行幸があったことの賞による。〕。さらに同年12月25日、権中納言に昇進し、左衛門督検非違使別当を改めて兼ねる。嘉禎4年(1238年)2月26日、検非違使別当を辞すが左衛門督は元の如し。延応2年(1240年)2月20日、従二位に昇叙〔式乾門院入内の賞による。〕。同年10月20日、中納言に転正。仁治2年(1241年)10月13日、権大納言に昇進し、11月11日には帯剣を許される。仁治3年(1242年)10月12日、正二位に昇叙〔大嘗会での叙位、中宮御給による。〕。建長5年(1253年)4月8日、右近衛大将を兼ねる〔この時、内大臣右大将であった弟公相は左大将に転任している。兄弟で左右大将に補任されたことになる。〕。
建長6年(1254年)12月13日、任大臣の兼宣旨を受け、同月25日に内大臣に任ぜられる。右大将は元の如し〔11月に左大将を辞していた弟公相は右大臣に転任した。〕。建長7年(1255年)4月12日、左大将に転任したが、同年12月2日には上表して左大将を辞した。正嘉元年(1257年)11月26日、右大臣に転任。正嘉2年(1258年)10月22日、右大臣を辞した。文永11年(1274年)12月14日、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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