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藤原 実宗(ふじわら の さねむね)は、平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿。西園寺家の第三代目とされる人物。按察使藤原公通の長男。正二位内大臣。坊城内大臣、大宮、五条と号す。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 久安4年(1148年)1月7日、叙爵。久寿2年(1155年)11月12日、従五位上に昇叙。保元2年(1157年)1月24日、侍従に任ぜられる。保元3年(1158年)8月10日、右少将に任ぜられる〔父公通が権中納言を辞しての申任である。〕。平治元年(1159年)1月3日、正五位下に昇叙され26日には備後介を兼ねる。応保元年(1161年)1月5日、従四位下に昇叙。10月19日、右中将に任ぜられる。長寛元年(1163年)1月5日、従四位上に昇叙され21日には伊予権介を兼ねる。永万元年(1165年)7月25日、正四位下に昇叙。仁安3年(1168年)1月11日、讃岐介を兼ねる。嘉応2年(1170年)12月30日、蔵人頭に補される。承安3年(1173年)4月8日、父の喪に服す。同年6月12日、復任する〔実宗の復任の日付からすると公通の薨去は『玉葉』にある通り4月ということになる。〕。 安元2年(1176年)12月5日、参議に任ぜられる。同月8日には中将の兼官を許される。治承元年(1177年)1月24日、備前権守を兼ねる同年12月17日には従三位に叙される。治承3年(1179年)9月5日、正三位に昇叙。寿永元年(1182年)3月8日、備後権守を兼ねる。寿永2年(1183年)1月22日、権中納言に任ぜられる。同年2月18日、勅授帯剣を許される。元暦元年(1184年)7月24日、従二位に昇叙。文治元年(1185年)12月25日、正二位に昇叙。 文治5年(1189年)7月10日、権大納言に任ぜられる。建久2年(1191年)3月28日、大納言に転正。建久9年(1198年)4月23日、大嘗会検校に補されるが母の喪に服す。同年12月には復任した。元久2年(1205年)11月24日、内大臣に任ぜられる。建永元年(1206年)3月13日、内大臣を辞退した。同年11月27日、出家。建暦2年(1212年)10月29日、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原実宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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