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西園寺実宗 : ミニ英和和英辞書
西園寺実宗[さいおんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

西園寺実宗 ( リダイレクト:藤原実宗 ) : ウィキペディア日本語版
藤原実宗[ふじわら の さねむね]

藤原 実宗(ふじわら の さねむね)は、平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿西園寺家の第三代目とされる人物。按察使藤原公通の長男。正二位内大臣坊城内大臣大宮五条と号す。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
久安4年(1148年)1月7日、叙爵。久寿2年(1155年)11月12日、従五位上に昇叙。保元2年(1157年)1月24日、侍従に任ぜられる。保元3年(1158年)8月10日、右少将に任ぜられる〔父公通が権中納言を辞しての申任である。〕。平治元年(1159年)1月3日、正五位下に昇叙され26日には備後介を兼ねる。応保元年(1161年)1月5日、従四位下に昇叙。10月19日、右中将に任ぜられる。長寛元年(1163年)1月5日、従四位上に昇叙され21日には伊予権介を兼ねる。永万元年(1165年)7月25日、正四位下に昇叙。仁安3年(1168年)1月11日、讃岐介を兼ねる。嘉応2年(1170年)12月30日、蔵人頭に補される。承安3年(1173年)4月8日、父の喪に服す。同年6月12日、復任する〔実宗の復任の日付からすると公通の薨去は『玉葉』にある通り4月ということになる。〕。

安元2年(1176年)12月5日、参議に任ぜられる。同月8日には中将の兼官を許される。治承元年(1177年)1月24日、備前権守を兼ねる同年12月17日には従三位に叙される。治承3年(1179年)9月5日、正三位に昇叙。寿永元年(1182年)3月8日、備後権守を兼ねる。寿永2年(1183年)1月22日、権中納言に任ぜられる。同年2月18日、勅授帯剣を許される。元暦元年(1184年)7月24日、従二位に昇叙。文治元年(1185年)12月25日、正二位に昇叙。

文治5年(1189年)7月10日、権大納言に任ぜられる。建久2年(1191年)3月28日、大納言に転正。建久9年(1198年)4月23日、大嘗会検校に補されるが母の喪に服す。同年12月には復任した。元久2年(1205年)11月24日、内大臣に任ぜられる。建永元年(1206年)3月13日、内大臣を辞退した。同年11月27日、出家。建暦2年(1212年)10月29日、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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