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西園寺実材母 : ミニ英和和英辞書
西園寺実材母[さいおんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

西園寺実材母 ( リダイレクト:実材母 ) : ウィキペディア日本語版
実材母[さねきのはは]

実材母(さねきのはは、生没年不詳)は、鎌倉時代歌人である。『権中納言実材卿母集』の作者。西園寺公経の五男実材を産んだことからこの名で呼ばれる。また、歌人となった佐分親清の娘達〔* name=musume/>の母でもある〔。

== 経歴 ==
出自は不明だが、家集に母危篤の知らせを受けて伊予に下向する件や、伊予の一宮三島神社を懐かしむ文言があることから、伊予が出身地だったかも知れない。また、公卿補任は西園寺実材の母を「舞女」としており、白拍子をしていたと考えられている。一度佐分親清の妻となった後、西園寺公経の寵愛を受け、室町家(四辻家)の祖となった実藤1227年(嘉禄3年)に産み、実材を1229年(寛喜元年)に産んだ。後深草天皇の寵妃で幸仁親王の母となる西園寺成子(大納言二位局)を産んだ〔とも言われる。公経の没(1244年(寛元2年))後、親清と復縁。親清との間には、1男(親時)と5女をもうけた〔。1267年(文永4年)実材に、その後親時に先立たれた。1277年(建治3年)頃、晩年の弁内侍とのやりとりがあった。夫親清の没後、何らかの紛争を抱え、それを訴えるため東国に下向している。そうした中、親清との間の長女に先立たれ、自らも病を得て出家する。晩年は、残された娘達と共に、歌を詠み交わしつつ、先立った家族の菩提を弔う日々だったことが家集から窺えるが、1287年(弘安10年)頃に再び上京、藤原行家の子で歌人だった九条隆博との贈答が見える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「実材母」の詳細全文を読む




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