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西尾 忠尚(にしお ただなお)は、江戸時代中期の大名。遠江横須賀藩の第2代藩主。横須賀藩西尾家5代。 == 生涯== 元禄2年(1689年)、初代藩主西尾忠成の四男として生まれる。元禄9年(1696年)9月21日に世子となる。元禄16年(1703年)12月21日に従五位下、播磨守に叙任する。正徳3年(1713年)7月23日、父の隠居により家督を継ぎ、8月7日に隠岐守に転任する。 享保17年(1732年)3月15日、奏者番と寺社奉行を兼任という形で任命された。享保19年(1734年)9月25日に若年寄に任じられる。延享2年(1745年)9月1日、遠江国において5000石を加増され、9月28日に従四位下に昇叙した。延享3年(1746年)5月15日から延享4年(1747年)まで老中を務めた。延享3年(1746年)9月1日には侍従に叙任される。 寛延2年(1749年)12月15日、遠江において5000石を加増され、横須賀藩は3万5000石の大名となる。 宝暦元年(1751年)からも老中を務めたが、在職中の宝暦10年(1760年)3月2日に病に倒れ、回復することなく3月10日に江戸辰の口にて死去した。享年72。跡を養子の忠需が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西尾忠尚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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