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西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日〔『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P125。〕 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者、野球解説者。 == 来歴・人物 == 八尾市立大正中学校で後にPL学園⇒巨人と進んだ桑田真澄とバッテリーを組む。後年、西山は桑田のことを「今まで見てきた中で最高のピッチャー」と評している。上宮高では3年夏の府大会では5回戦で敗退。 1985年ドラフト4位で南海ホークスに入団した〔。南海では一軍出場の機会に恵まれず、1987年シーズン途中に森脇浩司、永田利則との2対1のトレードで広島東洋カープに移籍。1990年からは一軍に定着。小刻みに揺れる一本足打法が特徴で、右打ちやセンター返しの名手であった。広島の捕手としては、唯一規定打席に到達してシーズン打率3割を達成した選手である。体型の割に俊足であり、外野を守ることもあった。1991年の日本シリーズでは先発三塁手として出場したこともあった。その他にも二塁手も守っている。 1993年からは広島黄金期を支えた名捕手・達川光男の後を受け正捕手の座をつかみ、1994年と1996年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞(いずれも1990年代のセ・リーグ捕手としては、古田敦也以外で唯一の複数回受賞)。 1990年代後半からは2番手捕手の瀬戸輝信との併用が続いた。2004年シーズン終了後フロントからコーチ打診を受けたが、本人が現役続行を希望したため自由契約となり、読売ジャイアンツに移籍した。 巨人では広島時代からの親友で不振が続いていた江藤智の良き相談相手となった。2005年4月17日の対ヤクルト戦で桑田真澄と23年ぶりにバッテリーを組んだが、同年限りで現役を引退。他球団からの移籍後巨人在籍は1年だったが、球団側の計らいで引退セレモニーも行われた。対戦相手が古巣の広島であり、広島ファンへの挨拶も兼ねたためといわれている。巨人移籍後の初出場試合も広島戦であり、レフトスタンドの広島ファンから温かい拍手が送られている。 引退後は巨人の二軍バッテリーコーチ(2006年-2007年)に就任し、現在の3番手捕手・加藤健などを育てた。2008年からは一軍バッテリーコーチを務めていたが、2010年10月24日に来季の契約を更新しないことが発表された〔伊原ヘッドコーチがフロント入り、篠塚、西山、緒方3コーチが退団へ 〕。2011年からはデイリースポーツ東京本社評論家、ラジオ日本・GAORAプロ野球中継の解説者を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西山秀二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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