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西岡 智(にしおか さとる、1931年 - )は部落解放運動家。部落解放同盟大阪府連書記長、副委員長、中央本部執行委員、書記次長などを歴任。2013年現在、部落解放・人権研究所名誉理事、同反差別部会部会長。 ==経歴== 大阪市東住吉区矢田の被差別部落で五女二男の長男として生まれ育つ。祖父は和泉国信太村の出身で、被差別部落の庄屋であった。 戦時中は愛国少年団の団長を務め、特攻隊志望の軍国少年であった〔評者◆西岡智(聞き手=小嵐九八郎) 水平社創立宣言の思想は生きている──狭山差別裁判糾弾の大運動は今も豊かな教訓を示す No.3089 ・ 2012年12月08日 〕。私立浪速中学から大阪府立高津高等学校定時制在学中、マルクス・レーニン主義と出会う。弁護士を志望して慶應義塾大学法学部(通信制)に学び、在学中、1953年、部落解放同盟に参加し松本治一郎の客分秘書となる。 1958年、部落解放同盟大阪府連合会矢田支部を結成し初代書記長に就任。のち大阪府連書記長などを歴任。 狭山中央闘争本部事務局長として狭山闘争を指導したが、新左翼との協力を主張して朝田善之助と対立。のち事務局長を解任される。 1969年の矢田事件では被糾弾者を「解同は差別者に対しては徹底的に糾弾する、糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ。差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」と恫喝し〔部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例』p.201。〕、上田卓三らとともに逮捕監禁・強要未遂罪で刑事告訴されたが、起訴には至らなかった〔『大阪社会労働運動史』第5巻、p.674(大阪社会運動協会, 1994)〕。 1981年、部落解放同盟小倉地協書記長が有罪判決を受けた北九州土地転がし事件に際し、部落解放同盟の内部の腐敗を批判する意見書を駒井昭雄とともに提出して上杉佐一郎と対立。このため、1982年、中央執行委員から外される。「朝田派のなかでもっとも狡猾な実権派」と評された〔中西義雄『部落解放への新しい流れ』p.259〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西岡智」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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