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西嶋 八兵衛(にしじま はちべえ、慶長元年(1596年) - 延宝8年3月20日(1680年4月19日))は、日本の江戸時代に活躍した土木技術家。幼名は之尤(ゆきまさ)、諱は之友。俳号は木端、拙翁。父は西嶋九郎左衛門之光。 == 略歴 == *1596年、遠江国(現在の静岡県)の浜松に生まれる。 *1612年、伊勢国(現在の三重県)津藩主藤堂高虎に仕える。 *1616年、大坂城修築工事に関わる。 *1624年、讃岐国(現在の香川県)高松藩主生駒高俊(高虎の孫)に招かれる。 *1627年、高松藩奉行に就任し、竜満池、小田池(ともに高松市)、福江大池を築く。 *1628年、400年以上廃池になっていた満濃池(まんのう町)の改修に着手し、山大寺池(三木町)を築き、三谷池(三郎池、高松市)を改修する。 *1630年、岩瀬池、岩鍋池を改修する。 *1631年、満濃池の改修が完了する。 *1635年、神内池を築く。 *1637年、香川郡香東川を付け替え、東の流れの跡地に栗林荘(栗林公園の前身)の築庭を行い、高松東濱から新川まで堤防を築き、屋島、福岡、春日、木太新田を開墾する。 *1639年、一ノ谷池(観音寺市)が完成し、伊勢国に帰郷する。讃岐では、90あまりのため池を築く。 *1645年、津藩の江戸家老加判役となり、1000石を領する。 *1646年、藩主藤堂高次に伴って伊勢に帰国し、ため池の新設・修理を行なう。 *1647年、伊賀国の新田開発を行なう。 *1648年、津藩の城和加判奉行となる。 *1658年、伊賀奉行となって伊賀国上野へ転居するが、城和加判奉行・中小路五郎右衛門の急逝により、その後任として再び城和加判奉行に就任。 *1677年、城和加判奉行を致仕して引退。 *1680年、伊賀国上野にて85歳で死去する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西嶋八兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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