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西川 吉之助(にしかわ よしのすけ、1874年 - 1940年7月18日)は、日本の教育者。滋賀県出身。昭和初期に日本のろう学校/ろう教育から手話が排除される原因となった『口話教育』の普及を推進した教育者のひとり。殊に大阪市立聾学校(学校名は当時。現在は大阪府立中央聴覚支援学校)校長の高橋潔とは、『手話の高橋、口話の西川』と対比された。 元からの教育者ではなく、耳が聴こえない娘のはま子のために始めた口話法が当時の社会で評判を博したため、教育者の道に進んだ人物である。財産家(実家は滋賀県近江八幡で北海道のニシン漁を営んでいた)であり、自身も外国語(英語・ドイツ語)に堪能であった。 ==口話法教育を始めた理由== 娘のはま子の耳が聞こえないことが判明した時、障碍者に理解のない当時の日本で、どうしたら普通の生活を娘に送らせることができるかと悩んだ末に辿り着いた答えが『口話法』であった。西川吉之助自身の言葉は次の通りである。 「手真似により筆談に依らなければ、他と交渉のできない濱子を他人の前に同伴する場合直ちに人は濱子を唖と賎しむでせう。劣者弱者欠陥者に同情の念の薄いのが日本人です。出来るならば私は我が愛する濱子に此の辱を受けさせたく有りませんのみならず進んで誰とでも談笑し普通学校にも学びえられ智力が許すならば高等学校にも学びえられ智力が許すならば高等の学問も修めさせて世人から欠陥を持つ少女として取扱はれない様にしてやりたいのが私の希望です。左様とするのは発音法に依つて教育するのが一法ある計りだと存じました」(『口話式聾教育』1925年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川吉之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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