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西川大輔 : ミニ英和和英辞書
西川大輔[にしかわ だいすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

西川大輔 : ウィキペディア日本語版
西川大輔[にしかわ だいすけ]

西川 大輔にしかわ だいすけ1970年6月2日 - )は、日本の元男子体操競技選手で、日本大学文理学部体育学科准教授大阪府大阪市東淀川区出身。
==略歴==
4歳のときから、マック体操クラブにて体操を始める。
清風高等学校在学中の1987年(昭和62年)頃より頭角を現し、同学年の池谷幸雄とともに注目を集める。翌1988年(昭和63年)のソウル五輪選考会(兼NHK杯)で個人総合優勝。五輪本番、団体総合の鞍馬では10点満点を出す等、団体銅メダル獲得に大きく貢献した。池谷と共に高校生としては日本体操史上初の五輪代表で「清風コンビ」「高校生コンビ」等として一世を風靡。同年の国体をはじめ国内大会には観客が殺到したり、二人の特集ビデオが発売される等、絶大な人気を集めた。
日本大学入学後も、1990年(平成2年)-1991年(平成3年)にかけ全日本選手権で個人総合・床運動・あん馬でそれぞれ二連覇を達成した。1992年(平成4年)のバルセロナ五輪でも団体銅メダルを獲得。個人総合はミスもあって決勝には進出できなかった。
1996年(平成8年)のアトランタ五輪は選考会で9位に終わり代表の座を逃したが、翌年の世界選手権では選考会で4位(西川ら3名が同点2位)となり、代表に返り咲いた。
1997年(平成9年)4月より日本大学高等学校・中学校の講師に、1999年(平成11年)4月より、日本大学講師に就任。指導の傍ら、あえて「引退」せず現役を続行していたが、高難度化の流れに乗れず1999年の全日本選手権では50位にまで沈み、シドニー五輪第二次選考への出場もできなかった。これを機に、競技選手としては事実上引退することとなった。
現在は、日本大学文理学部体育学科准教授として体育の実技授業を受け持つ傍ら、体操部のコーチとして後進の指導に当たっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西川大輔」の詳細全文を読む




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