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西川 如見(にしかわ じょけん、慶安元年(1648年) - 享保9年9月24日(1724年11月9日))は、江戸時代中期の天文学者。父は同じく天文学者の西川忠益。母は石山宗林の娘。肥前長崎の商家に生まれ育った。名は、忠英、通称は次郎右衛門。別名は恕軒、恕見。居号は求林斎、金梅庵、淵梅軒。 == 略歴 == 1672年(寛文12年)25歳の時和漢を儒学者南部草寿(1680年没)に、天文・暦算・測量学を林吉右衛門門下の小林義信(謙貞、樋口権右衛門)に学んだ。1695年(元禄8年)48歳の時に日本で初めての世界地誌『華夷通商考』〔上巻では「中華十五省」について、下巻では「外国」(朝鮮・琉球・台湾・ベトナム中北部)と「外夷」(唐人と交易関係のある国(東南アジアの諸国))について、日本からの道程、気候、物産、風俗などを記している。〕〔岡田俊裕 2011年 47ページ〕を著した。〔本書の原本となったのは、長崎清館の大通事の林道栄『異国風土記』(1688年成立)であった。〕〔 元禄10年(1697年)に隠居して著述に専念。1708年(宝永5年)61歳の時に『増補華夷通商考』を刊行した〔増補部分で、横文字または、無文字の国(ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカなど)について述べ、世界地理書として体系を整えた。増補内容は、在華イタリア人宣教師ジュリオ・アレニの漢訳世界地理書『職方外記』(明代1623年刊)に拠っている。〕。それによって南北アメリカが日本で初めて紹介された〔。 天文・地理学上の著述では有名中国天文学説を主とし、ヨーロッパ天学説の特徴を十分承知しながら享保3年(1718年)に江戸へ赴き、翌享保4年(1719年)に8代将軍徳川吉宗から天文に関する下問を受けた後暫く江戸に滞在し、長崎に帰った。 享保9年(1724年)に死去した。享年77。 息子の西川正休は延享4年(1747年)または宝暦の改暦の際(吉宗が没した1751年)に天文方に任命されている(Wikipedia「天文方」→「天文方の各家」→「西川家」では「1747年」としている)。 墓は長崎長照寺照山。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川如見」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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