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西川 左近(にしかわ さこん、1937年 - )は、日本舞踊家である。名古屋西川流2世家元の西川鯉三郎の長女として生まれ、名古屋西川流3世家元西川右近は弟にあたる。2世没後、独立し西川流鯉風派初代家元となった。本名西川美江子、愛知県名古屋市中区本重町(現在の錦三丁目)出身、東京都中央区在住。 == 経歴 == *1937年 - 日本舞踊名古屋西川流二世西川鯉三郎(当時は西川茂。西川流二世家元には就任していない)、西川司津の長女として、愛知県名古屋市中区本重町(現在の錦三丁目)で生まれる。 *1945年 - 9月、父鯉三郎主催第1回名古屋をどりを開催。左近も1984年まで古典舞踊から新作舞踊劇まで出演。 *1955年 - 二世西川鯉三郎主催の「鯉風会」で、長唄京鹿子娘道成寺で、西川左近を襲名。この頃、藤間流宗家二世藤間勘祖に師事。 *1958年- 高弟の親戚と結婚するが、数年後には「性格の不一致」などで離婚する。 *1970年頃 - 柳橋、新橋芸妓組合の専属師匠になる(現在は柳橋芸妓組合は廃業。新橋芸妓組合主催の「東をどり」の指導にも現在も当たっている)。 *1982年 - 二世西川鯉三郎が、娘左近のために、平岩弓枝作「秋色桜」を作舞。 *1983年 - 7月31日、父西川鯉三郎没(享年73)。 *1985年 - 4月、名古屋西川流から分家独立。左近の分家独立は当時の新聞、週刊誌とマスコミを騒がせた。7月31日、名古屋西川流と決別。父鯉三郎の芸風の継承と指導、普及を柱に、「西川流鯉風派家元 西川左近」として独立し、東京都を中心に、舞踊活動をする。家元後見人に出光興産社長の出光昭介、家元補佐職に平岩弓枝が就任。これは、生前、父鯉三郎の意向があったものとされる。 *1986年 - 10月、東京歌舞伎座で、父二世西川鯉三郎と所縁のある、十七代目中村勘三郎、十八代目中村勘三郎、二代目尾上松緑、(代役三代目尾上松緑)、山田五十鈴、山本富士子が特別出演。西川左近とその一門の門出を助ける。 *1994年 - 1月、父の当たり役、清元榮三郎作曲「春宵吹き寄せばなし」を新橋演舞場で踊った舞台を、NHK教育テレビ『芸能花舞台』で放送される。ゲストは女優の山田五十鈴。左近と地唄「鐘ケ岬」を芸妓と舞妓で踊った思い出を番組で話していた。 * 1999年 - 3月、「雛菊会」で素踊りで、長唄「京鹿子娘道成寺」を踊る。 * 2004年 - 4月、NHK教育テレビ『芸能花舞台』で、平岩弓枝が父鯉三郎のために1976年に創作した、淀殿の生涯を舞踊化した杵屋六左衛門作曲、長唄「おちゃちゃ御料人」を左近が踊り、平岩弓枝がゲスト出演し、放送される。 * 2008年 - 10月、「西川左近リサイタル」を国立大劇場で開催。清元「北州」、長唄「おちゃちゃ御料人」を踊る。 * 2009年 - 2月、「日本舞踊協会公演」で花柳流家元四世花柳壽輔と共に、歌舞伎役者と芸者と夏の大川の風情を描いた父鯉三郎作舞の一つ、清元「しのぐ夏」を踊る。 * 2010年 *2月、「日本舞踊協会公演」で清元榮三郎作曲「春宵吹き寄せばなし」を久し振りに踊る。 *3月、第42回「雛菊会」を国立劇場で開催。清元「雁金」を踊る。新橋芸妓も出演。 *4月、「第86回東をどり」は「江戸廓ばなし」の振付、指導にあたる。 * 2011年 *2月19日「日本舞踊協会公演」で西川鯉三郎振付「紀州道成寺」を花柳流家元花柳壽輔と踊る。 *3月25日 国立劇場で「西川左近の会」で「鯉三郎古曲名作選」で荻江節「八島」、平岩弓枝作、西川鯉三郎作舞「蝶々夫人」を一人立ちで踊る予定であったが、3月11日に発生した東日本大震災の影響で中止になった。2012年3月23日に国立劇場で開催された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川左近」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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