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西川鉄次郎 : ミニ英和和英辞書
西川鉄次郎[にしかわ てつじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

西川鉄次郎 : ウィキペディア日本語版
西川鉄次郎[にしかわ てつじろう]

西川 鉄次郎(にしかわ てつじろう、1854年1月22日嘉永6年12月24日) - 1932年昭和7年)6月1日〔『会津会雑誌第40号』「死亡会員略伝 西川鉄次郎君」では2月1日。〕)は、幕末会津藩士明治期の裁判官白虎隊士として戊辰戦争を戦い、裁判官として大審院判事にいたる。中央大学の前身である英吉利法律学校の創立者の一人。

==生涯==
幕末の若松に生まれる。父、西川俊治〔『沼津史料館通信第75号』〕は、禄高65斗2人扶持、御書簡所物書〔幕末の会津藩における御書簡は、表御用人支配で幕府との連絡や、御小姓、御厩別当、御供番を支配した。〕勤めである〔勉強堂書店『慶應年間会津藩士人名録』97頁〕。16歳で戊辰戦争を迎え、白虎寄合二番隊士として越後方面で戦った。戦後静岡藩に留学し、沼津兵学校附属小学校で学ぶ。1878年(明治11年)旧東京大学法学部を卒業。西川は旧東京大学法学部の最初の卒業生の一人であり、同期生6人には河上謹一などがいる。卒業席次は首席であった〔東京帝国大学『東京帝国大学卒業生氏名録』、1926年〕。外務省に入り大使館書記生として英国で学び、帰国後の1881年(明治14年)内務省に入省した。文部省書記官時代〔『中央大学二十年史』9-12頁〕の1885年(明治18年)、増島六一郎菊池武夫江木衷穂積陳重ら若手法律家18人と英吉利法律学校を創設し、西川は保険法を講義した。1886年(明治28年)に東京始審裁判所判事として裁判官に転官し、水戸地方裁判所長横浜地方裁判所長函館控訴院長長崎控訴院長〔長崎控訴院長からの退任は司法省改革による人員整理に伴うものであった。函館控訴院検事長池上三郎、長崎控訴院検事長山川徳治石塚英蔵の岳父)らが同時期に休職となっている。(新井勉 大正・昭和前期における司法省の裁判所支配 』(日本法学第77巻第3号))〕を歴任。1898年(明治31年)から1902年(明治35年)の間、旧憲法下の最高裁判所である大審院判事を務める。大審院時代には『大審院判決摘要類纂』の校閲を行った。従三位勲二等会津会会員、享年80〔『会津会雑誌第40号』「死亡会員略伝 西川鉄次郎君」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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