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西暦(せいれき)とは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である〔J・D・ブルゴワン 『暦の歴史』 池上俊一監修、南條郁子訳 創元社 2001年5月20日、p.066〕。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.又ADとは「アンノドミニ (Anno Domini) 」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」と言う意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。 紀元より既に2000年余りが経過している西暦は、1800年頃からキリスト教国家を中心に広がり、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。 == 歴史 == === 誕生 === 西暦は6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出された〔岡崎 1996, 第二章 中世における普遍史の展開,ディオニシウス・エウシグウス〕。525年、ディオニュシウスはローマ教皇ヨハネス1世の委託を受けてキリスト教の移動祝日である復活祭の暦表(復活祭暦表)を改訂する際に、当時ローマで用いられていたディオクレティアヌス紀元(ローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とする)に替えて、イエス・キリストの受肉(生誕年)の翌年を元年とする新たな紀元を提案した。これはディオクレティアヌスがキリスト教の迫害者であり、その迫害者の名を残す事が疎まれたからである〔。 聖書の記述によると、イエスが復活した日はユダヤ教の過越の祭り(春分の頃の最初の満月の日)の前日から三日目の日曜日(主日)であり、伝承では「ユダヤ暦でニサンの月の14日」(ユリウス暦の3月25日)とされていた。ディオニュシウスはイエスの生誕年を求めるにあたり、ディオクレティアヌス紀元279年が、伝えられるイエスの復活した日の状況と合致することを発見した〔岡崎 1996, 第二章 中世における普遍史の展開,ディオニシウスの算定方法〕。そこで、ここから復活祭(過越の祭りと同日)の日付が532年で一巡するという当時の知識に基づき、イエスの復活した年を求め、その時のイエスの年齢が「満30歳であった」とする当時の聖書研究者の見解を根拠として、そこから31年を加えた年がイエスの生誕年に当たるとした〔。これにより「ディオクレティアヌス紀元279年=キリスト紀元563年」の等式が成り立ち、この年号を出発点として他の年号が求められた〔。ディオニシウスはこの年号を「主の体現より (ab incarnatione Domini)」と表した〔。また、紀元の始点を(イエス生誕の12月25日ではなく)1月1日までさかのぼらせた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西暦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anno Domini 」があります。 スポンサード リンク
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