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木屋町通、木屋町通り(きやまちどおり)は、京都市の南北の通りの一つである〔''木屋町''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月13日閲覧。〕〔''木屋町''、Yahoo!辞書、2012年9月13日閲覧。〕〔''木屋町''、Yahoo!百科事典、2012年9月13日閲覧。〕。北は二条通から南は七条通まで、全長約2.8キロメートルの道路である〔。先斗町の西にあり、高瀬川の東側に沿って中京区・下京区を貫通する〔。 略称木屋町(きやまち)は、東西の通り名と合わせて頻用され、また通り沿い・高瀬川沿いの二条・五条間の地域を「木屋町」と通称する〔。 三条通から南では、一部を除き高瀬川西岸に西木屋町通(にしきやまちどおり)が並走する。 == 略歴 == 慶長年間(1596年 - 1615年)の角倉了以の高瀬川開削に伴って、1611年(慶長16年)に二条樵木町(現在の中京区上樵木町付近)を起点に開通した〔。開通当時のこの通りは、「樵木町通」と呼ばれていた。 江戸時代初期(17世紀)、大坂(現在の大阪府大阪市)や伏見(現在の京都市伏見区)から薪炭・木材が高瀬舟に積まれて集まり、材木問屋・材木商が倉庫や店舗を立ち並べるようになったため、「木屋町」と呼ばれた〔〔。木屋町周辺には材木町、紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名が残っている。1762年(宝暦12年)に刊行された『京町鑑』には、「木屋町」を「北二条通より南五条迄」と定義し記載している〔。 江戸時代中期(18世紀)には、この通りを往来する旅人や商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えるようになり、酒楼娯楽の場へと姿を変えた。幕末(19世紀)には勤皇志士が密会に利用したため、坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡や事跡の碑が繁華街のあちこちに立っており、大村益次郎や本間精一郎、佐久間象山などが殉難している。 1895年(明治28年)には、二条 - 五条間に京都電気鉄道(のちに買収され京都市電木屋町線)の路面電車が開通した。1920年代(大正末年 - 昭和初年)に河原町通が拡幅されたことにより、市電のルートは河原町線に移った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木屋町通」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kiyamachi Street 」があります。 スポンサード リンク
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