|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 西 : [にし] 【名詞】 1. west ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一義 : [いちぎ] 【名詞】 1. (1) reason 2. principle 3. meaning 4. (2) first meaning 5. first principle 6. first consideration ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
西村 一義(にしむら かずよし、1941年12月14日 - )は、将棋棋士。2006年、引退。愛知県名古屋市出身。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号87。 == 経歴 == 1941年12月14日に愛知県で生まれ、2才の時に岐阜へ疎開した〔「私の歩いている道」32-35頁〕。その後愛知県に戻り、中学2年の頃に本格的に将棋を学び始め、中学卒業後にプロを目指して上京した〔。クリーニング店で住み込みで働きながら将棋道場に通い、土居市太郎門下の関屋喜代作四段(当時)、大内延介4級(当時)、高柳敏夫門下の中原誠などの指導を受けた〔。一度はプロを諦めて2年間将棋を離れたが、転職を経て再び将棋を始めた〔「私の歩いている道」35-38頁〕。 1961年、アマ名人戦で東京都代表となり、佐瀬勇次の紹介により20才で奨励会試験を受け、1級で入会した〔。1963年に四段となり、五段時代の1969年王位戦で大山康晴に挑戦した。五段でのタイトル挑戦は初めての記録だったが〔、七番勝負を2勝4敗で敗退。 1972年に順位戦B級1組に昇級し、以後2度の降級を挟みつつ12期の間戦った〔。タイトル初挑戦の18年後の1987年には棋聖戦で桐山清澄に挑戦して敗退。タイトル戦の登場間隔18年は史上最長(女流棋戦では弟子の山田久美がタイトル戦の登場間隔25年)。勝数の累積により1984年に八段、1999年に九段へ昇段した〔。2006年に現役を引退した〔。 1974年から1992年まで日本将棋連盟理事を務めた〔。2005年から専任理事になり、総務・経理を担当した〔〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村一義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|