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西村 俊一(にしむら しゅんいち、1928年4月 - 1995年3月12日)は、映画製作者、宣弘社・C.A.Lのテレビプロデューサー。 『月光仮面』や『隠密剣士』、『水戸黄門』、『大岡越前』などのヒット作を多数手掛けた。東京都千駄木出身。 ==来歴== 母親の生家は千駄木の「万年山勝林寺」という寺で、父親がここの住職を務める傍ら、講談社の少年雑誌『少年倶楽部』の編集部に所属していた。当時千駄木の団子坂にあった講談社は、この寺を編集会議に活用していたことから、幼いころから編集会議に集まった田河水泡や山川惣治、高垣眸らに可愛がられた。 1950年代に嵐寛寿郎の「綜芸プロダクション」に所属し、東宝や新東宝の映画企画に関わる。 1957年(昭和32年)、「宣弘社」がテレビ番組『月光仮面』を企画した際に、原作者である川内康範が、宣弘社の小林利雄社長に西村を紹介。年末に宣弘社に入社。 1958年(昭和33年)、霞町に居を移し、綜芸プロ時代のスタッフや、船床定男監督を招いて、日本初の連続フィルムテレビ映画である『月光仮面』を制作。 1960年(昭和35年)、『快傑ハリマオ』では日本のテレビドラマ初のカラーフィルム制作(初期五話)、カンボジア、タイ、香港の海外ロケをコーディネート。 1962年(昭和37年)、『隠密剣士』では第二部より「忍者物」の設定を導入。プロットのほとんどを自ら考案し、「忍者ブーム」を巻き起こす。 以降、『恐怖のミイラ』、『豹の眼』、実写版の『意地悪ばあさん』などのテレビ番組や、劇場映画『大忍術映画 ワタリ』などを制作。 1969年(昭和44年)、電通傘下のテレビ番組制作会社「C.A.L」に移り、現代劇中心だったTBSの「ナショナル劇場」に時代劇『水戸黄門』の企画を持ち込む。『水戸黄門』は人気番組となり、1992年(平成4年)までの23年間に渡り、同作のプロデューサーを務めた。 1987年(昭和62年)、第4回ATP賞個人賞を受賞。 1995年(平成7年)3月12日、肝不全のため死去。享年68(66歳没)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村俊一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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